ある朝、ディーンが玄関を出ると、風船を手にした友人たちが家の前にいました。「君の詩をコンクールに出した」と、ジョシュが1歩進み出て語り、彼に封筒を手渡しました。中には「最優秀賞」と記された賞状がありました。みんな嬉しくて涙しました。ディーンの詩の才能を信じた友人たちは、麗しいことをしたのです。

うれし涙とは逆説的な現象です。涙は通常、痛みに対する反応で、喜びはおおむね笑いで表現されます。しかし、人は深く感動した瞬間にうれし涙を流すと、イタリアの精神学者たちは記しました。例えば、大きな愛を感じたり、大きな目標を達成したりした時です。よって、うれし涙はその人の人生の意味を示すもの、と彼らは結論づけています。

うれし涙はイエスが行かれた全ての場所で流されたでしょう。生まれつき盲目の人の目をイエスが開かれた時(ヨハ9:1-9)、彼の両親は、泣かずにいられたでしょうか。兄弟ラザロを死からよみがえらせていただいたマリアとマルタはどうでしょう(ヨハ11:38-44)。神は言われます。御民は回復された世界に「泣きながらやって来る」と。「わたしは彼らを、慰めながら連れ戻る」(エレ31:9)と言ってくださいます。

うれし涙が人生の意味を教えてくれるのなら、来るべき大いなる日はどうでしょう。涙が頬をつたう時、私たちは疑いもなく知るのです。人生の意味は、常に神と親しく生きることだと。