アイルランドの詩人イェイツは、頂上が平らな故郷の山、「ベン・ブルベンの麓」に葬られたいと願っていました。彼の最後の詩集には同名の詩が収められています。その最後の3行が墓碑に刻まれています。「冷たき眼を投げかけよ 生と死に 馬に乗った人よ、過ぎゆけ!」

その意味はいろいろと臆測されましたが、おそらく生と死、双方の現実を認識しているのでしょう。イェイツは、希望通りの場所に葬られ、墓碑銘も望んだ通りでした。しかし悲しいかな、世界は、1人の人の死など気にも留めないかのように続いていくのです。

ユダに恐怖が押し迫った頃、宮廷をつかさどる執事シェブナは、己の名を刻むために墓を作りました。しかし、神は預言者イザヤを送り、告げられました。「ここはあなたのだれに関わりがあるのか。高いところに自分の墓を掘ったり、岩に自分の住まいを刻んだりして。……主は……あなたをまりのように丸めて、広々とした地に投げ捨てる。そこであなたは死ぬ」(イザ22:16-18)

シェブナの行動は的外れでした。大切なのは、どこに葬られるかではなく、誰に仕えたかです。聖書は「主にあって死ぬ死者は幸いである」(黙14:13)と語っています。イエスに仕えた人は安心です。神は、その人たちの死に無関心ではありません。私たちの到着を待ち望み、「おかえりなさい!」と天国に迎えてくださいます。