幼いめいが「あの子はぶどう味のあめなのに、どうして私はいちご味なの?」と尋ねました。子どもは自分のもらった物と他人のもらった物を比較しがちです。それをずっと前におい、めいから学び、彼らを溺愛する叔母として、適切な判断をしなければと考えています。

私も時に「なぜ私にはこれで、あの人にはあれなのですか?」と神に尋ねてしまいます。ガリラヤの浜辺でシモン・ペテロも同じことをしました。イエスは、ご自分を否んだペテロを赦(ゆる)し、回復を与えるや、あなたは殉教の死を通して神に栄光を帰すると告げられました(ヨハ21:15-19)。ところがペテロは、主の招きに「はい」と答える代わりに、「主よ、この人(ヨハネ)はどうなのですか」(21節)と尋ねたのです。

イエスの返答は「あなたに何の関わりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい」でした(22節)。主は私たちにもそう言われます。態度や価値観など自分の内面について、変わるべき点、すべきこと、進むべき道などをイエスがすでに示されたなら、あなたがご自身に全幅の信頼を寄せることを願われます。私たちは自分と人の道を比較したりせず、ただ主に従っていくべきです。

使徒ペテロは30年以上、初代教会の勇敢な指導者として神に従いました。そして、暴君ネロの下で恐れることなく死に甘んじた、と史実は語ります。私たちもまた、神の愛と導きを信じて、疑わず、揺るがず、神に従えるように祈りましょう。