その若者はベイリー牧師に虐待と依存症の話を打ち明けました。彼はキリスト者でしたが、幼い頃から性虐待を受け、ポルノにさらされていたので、自分では解決できない大きな問題を抱えていました。ですから、必死で助けを求めたのです。

私たちはキリスト者として目に見えない悪の力と戦います(Ⅱコリ10:3-6)。そして、この霊の戦いのために武器が与えられています。それは一般的な武器ではなく、「神のために要塞を打ち倒す力があるものです」(4節)。これはどういう意味でしょう。「要塞」とは頑丈に造られた防備施設ですが、私たちは、神に賜った「左右の手にある義の武器」(6:7)で、防御したり、攻撃したりします。エペソ人への手紙6章13-18節は、武具についてさらに語ります。それらは、神のことば、信仰、救い、祈り、他の信仰者の助けなどです。自分より大きく、力ある勢力に立ち向かうとき、これらの武具を適切に使えるか否かで、耐えきれるか、つまずくか、大きな差ができるでしょう。

神はまた、自分では対処できない大きな問題を抱えている人たちを助けるために、各分野の専門家やカウンセラーなどを用いられます。私たちにとって良い知らせは、イエスにあって、また、イエスを通すなら、悪の力に降参しなくてよいことです。私たちには神の武具があるのです。