乾燥機の中にシャツを探そうとして、「勘弁してよ!」と叫びました。白シャツにインクの染みが広がり、まるでヒョウ柄です。ポケットを調べ忘れたために、ペンのインクが漏れて洗濯物を全て汚していました。
聖書では罪を表すのに「汚れ」(「けがれ」あるいは「よごれ」)という言葉をよく使いますが、それは、繊維に入り込んで取れない布についた染みのようなものです。神は、預言者エレミヤを通して罪をそのように表し、次のように言われました。「たとえ、あなたが重曹で身を洗い、たくさんの灰汁(あく)を使っても、あなたの咎は、わたしの前に汚れたままだ」(エレ2:22)
しかし、幸いなことに、それで終わりません。神は、次のように語られます。「たとえ、あなたがたの罪が緋(ひ)のように赤くても、雪のように白くなる。たとえ、紅のように赤くても、羊の毛のようになる」(イザ1:18)。神が私たちをきよめてくださるという約束が記されているのです。
インクの染み同様、罪の汚れも自力では消せません。しかし、聖書は次のように約束しています。「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦(ゆる)し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます」(Ⅰヨハ1:9)。神はキリストにあって私たちをきよめてくださいます。
あなたにとって、罪の赦しときよめは、どういう経験でしたか。どのような「汚れ」を神に告白する必要がありますか。
父よ、キリストの赦しときよめの約束にしがみつけますように。