スージーは極度の不安で集中治療室の前で泣きました。生後2カ月の息子の肺に水が溜まっているといいます。医師たちは、最善を尽くすが保証はない、と言いました。その時、「神を礼拝しなさい」という聖霊の優しい促しを感じました。歌う気力はなかったので、その後3日間、病院ではスマホで賛美歌を聞きました。こうして神を礼拝する中で、希望と平安を見いだしたのです。この経験を通して、スージーは「礼拝で神を変えることはできない。一方、私は確実に変えてもらえる」と教えられたそうです。

ダビデは絶望的な状況に直面し、神を祈りと賛美で呼び求めました(詩30:8)。ある神学者は、ダビデは「賛美と変容の中で現れ出る神の恩寵(おんちょう)」を求めて祈ったと語ります。神はダビデの「嘆きを踊り」に変えてくださいました。彼は、状況にかかわらず、とこしえまでも神をほめ歌う、と宣言しました(11-12節)。つらいときの賛美は難しいかもしれません。しかしそれは、私たちを変容させるでしょう。絶望から希望に、不安から信仰に、です。神は、そんな私たちの姿を用いて、人々を励まし、変えてくださいます(4-5節)。

スージーの息子は、神のあわれみによって回復しました。試練の結末が望み通りとは限りませんが、苦難の渦中でも神を礼拝するとき、神の御業が、私たちを変えます。神は私たちを新しい喜びで満たしてくださいます(11節)。