母の告別式のために、母が生まれてから亡くなるまでの月日を適切に表せる言葉を下さい、と祈りました。そして、親子関係の良かった時、そうでなかった時を振り返りました。私がイエスに変えられたのを見て、自分もイエスの救いにあずかりたいと言ってくれた時のことも。神の助けによって、親子で信仰を育めたこと、また、母に祈られ、励まされ、親切にされたと言う人たちの存在にも感謝しました。母は完璧な人ではありませんが、有意義な人生を送りました。つまり、イエスのために良い生き方をしました。

キリスト者でも完全無欠な人はいません。しかし、聖霊のおかげで「主にふさわしく歩み、あらゆる点で主に喜ばれ」(コロ1:10)る生き方は可能です。使徒パウロによれば、コロサイの教会は、信仰と愛で有名でした(3-6節)。聖霊が、知恵と理解力を与え、「あらゆる良いわざのうちに実を結び、神を知ることにおいて成長」するように助けられたのです(9-10節)。パウロは、コロサイ教会の人々を褒め、彼らのために祈り、イエスの御名を高らかに宣言しました。「この御子にあって、私たちは、贖(あがな)い、すなわち罪の赦(ゆる)しを得ているのです」と(14節)。

聖霊に己を委ねて生きるなら、私たちも神を深く知り、神と人を愛し、福音を分かち合い、イエスのために良い生き方ができます。