ホームセンターで「Welcome」の文字入りの玄関マットを購入しました。それを家で広げながら、我が家は人々をイエスに倣って歓迎しているかしらと自問しました。例えば、学校の募金活動の子どもたち、困っている隣人、遠くの親戚が、突然、インターホンを鳴らしたらどうでしょう。

マルコの福音書9章は、変貌の山のイエス(1-13節)、悪霊につかれた男の子の癒やし(14-29節)を経て、イエスがご自分の死を弟子たちに告げられる場面に進みます(30-32節)。しかし、彼らはそのことばを聞き過ごし、誰が一番偉いかと議論しました(33-34節)。主はそんな彼らを前に、ある子どもを膝に乗せて言われました。「だれでも、このような子どもたちの一人を、わたしの名のゆえに受け入れる人は、わたしを受け入れるのです。また、だれでもわたしを受け入れる人は、わたしではなく、わたしを遣わされた方を受け入れるのです」(37節)。この「受け入れる」とは、客を歓迎するという意味です。イエスは弟子たちが皆を歓迎することを望まれました。見下されている人も、都合の悪い人もです。

私は、どうすれば主の愛を示せるか考えました。まずは、イエスを大切な客として迎え、「主のみこころのままに」と従うことです。そうするか否かは、私の意志の問題なのです。