神は聞いてくださる
小学1年生の子どもが110番に電話して「助けてください」と言いました。「宿題ができないんだ」。やがて「ジョニー、何をしているの」と女性の声が聞こえ、少年は算数の宿題で困ったので、助けてくれる人がいると教えられた番号に電話をしたと説明しています。彼にとって宿題は「緊急事態」です。親切なオペレーターは、少年の「緊急事態」に対応し、宿題を手伝ってくれました。
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パーティーを計画しました。お客が多いのでケータリングを頼もうか。それともバーベキューセットを買おうか。雨に備えてテントも必要だろうか、と夫婦で相談し、予算はどんどん膨れ上がりました。人に助けてもらう機会にもなると捉えずに、自分たちで全部やろうとしたので、若干、非社交的にさえなりました。
イエスは必ず戻ってこられる
イエスは、ご自身の再臨を、弟子たちの安心の源として語られました。十字架の前夜、過越の祭りを祝ったばかりの二階の大広間で、こう言われました。 「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には住むところがたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです」(ヨハネ14:1-3)
キリストのきっぱりとした口調に注目しましょう。「また来て」と言って必ず戻ることを約束し、ご自分が去ると伝えられて動揺する弟子たちを慰められました。主は必ず再びやって来て、主を信じる人々を御父のもとへ連れていってくださるのです。不安や恐れと毎日闘っているなら、天の父の家にいつか帰って永遠を過ごせるという望みは心の支えとなるでしょう。みことばは、その未来の家を「神の幕屋」と呼びます。「神の幕屋が人々とともにある。神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである」(黙示録21:3-4)
イエスの再臨によって、私たちは神の完全なご臨在を体験します。その日には、全ての悪は正され、痛み苦しみは取り去られます。罪のもたらす諸悪にピリオドが打たれ、傷つき悲しむ全ての人は慰めを得ます。
聖書によれば、この世は目を見張るような輝かしい結末に向かって進んでいます。終末をどう捉えるべきか、またそれが今の生活をどう変えるべきかを考えました。
【このテーマは今月の以下のエッセーでも取り上げています。】
1日 信じたことに目を向ける
8日 一つになる
15日 墓なんてない
22日 王の王の再来
信じたことに目を向ける
妻が窓の外を指さしながら「ねぇ見て! 信じられない!」と声を上げました。森に沿った我が家のフェンスの向こう側で雌鹿が跳ねていました。フェンスの内側では、我が家の大型犬たちがほえることなく、鹿と平行して走っています。鹿が立ち止まって犬たちの方を向くと、犬も立ち止まり、前足を伸ばしてしゃがみ、腰を落として再び走り出す準備をします。両者は1時間近く、行ったり来たりを繰り返しました。これは捕食者と被食者の行動ではありません。鹿と犬たちは、一緒に楽しく遊んでいたのです。その朝の珍しい光景は、来たるべき神の国をイメージさせました。