高校に入った娘が昼休みにスマホにメッセージをくれました。テストの結果が良かったようで興奮しています。母親の私も大喜びです。テストの点数が良かったからだけではありません。私に伝えたいと思ってくれたからです。良い知らせを共有したかったのでしょう。

娘のメッセージで私の一日が明るくなったことを思うと、私が何かを伝えるとき、神はどう感じられるでしょう。私に話しかけられて、喜ばれるでしょうか。神に何かを伝えることを「祈り」といいます。聖書は「絶えず」祈りなさいと語ります(Ⅰテサ5:17)。

神に話をする習慣は、良い時も悪い時も、神が共にいてくださると再確認させてくれます。神は何もかもご存じですが、それでも、自分のことを伝えるのは有益です。思考の中心を自分から神に移すことができるからです。イザヤ書26章3節は「志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです」と語ります。

どんなことに遭遇しても、常に神に語りかけ、私たちの創造主、救い主であるお方と絶えず語り合いましょう。小声で祈ったり、喜ぶことを忘れないように。そして、小さなことにも、大きなことにも感謝しましょう。結局のところ、使徒パウロの言葉どおり、これが「神があなたがたに望んでおられること」(Ⅰテサ5:18)なのです。