ミシシッピー州の気象予報士マット・ローバンは、2023年3月24日、激しい嵐をレーダーで解析中、巨大な竜巻がエモリー市に襲来しようとしていると気付きました。それでテレビの天気予報の最中に、一瞬、間を置いて、こう祈りました。「愛するイエスよ、どうか住民をお助けください。アーメン」。そう祈るしかない状況だったのです。しかし、この祈りのおかげで避難したと後で語った視聴者もいました。彼の心の込もったとっさの祈りによって、数多くの命が救われたかもしれません。
私たちの祈りも何かを変えられます。長々と祈る必要はありません。短く心を込めて、職場でも、歩いていても、遊びに行っていても、いつでも、どこでも、「絶えず祈」ることができます(Ⅰテサ5:17)。
神はキリスト者が一日を通して祈ることを喜ばれます。使徒パウロは次のように語り、不安や恐れにとらわれる必要のないことを教えています。
「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます」(ピリ4:6-7)。人生には晴れる日も嵐の日もあります。どんな時でも、一日を通して、一旦心を静め、祈るように心掛けましょう。
どうすれば祈ることを一日を通して意識できるでしょう。あなたの祈りの生活は、年とともにどのように成熟してきましたか。
神よ、いつでもあなたに祈れることを感謝します。