最後に
各章の要点、そして聖書の教える「知恵ある人」の特徴を振り返りましょう。
- デジタル機器を通してさまざまな知識を得ることができる
⇒神に喜ばれる事柄とそうでない事柄を見極め、情報を理解や洞察に高めるために分別が必要不可欠 - スマホやタブレットによって常時コミュニケーションが可能に
⇒大切な時間が奪われている一面も
⇒神との時間、家族や仲間との時間、休息の時間を意識的に確保する - インターネットは重要な社交の場
⇒画面越しでも神を恐れ、相手を愛し敬う言動を - さまざまなデジタルコンテンツは気晴らしになる
⇒豊かないのちはキリストを愛し従う歩みのうちにある
◎コンテンツの背後に込められたメッセージをみことばに照らして吟味
◎流れに身を委ねるのではなく、何をどのぐらい見るかを自分で決める
知恵ある人は……
スマホやインターネットを活用し主を愛し、人に仕える
上記の要点や「知恵ある人」の特徴を日頃から意識し、少しでも自分の生活に当てはめ、実践していきましょう。私たちの願いは、オンラインかオフラインかにかかわらず、与えられた時間や⼒を神に心から従うことに最大限用いて、イエスのように人々に仕えることです。インターネット上に流布するさまざまな価値観に流されず、神との絆に根ざす決断を重ねましょう。デジタルデバイス自体は単なる道具です。長所も短所もあります。要は使い方次第。スマホやタブレットに支配されるのではなく、むしろそれを主のために活用しましょう。
活用例:
スマホやタブレットを通して、私たちそれぞれが主イエスを愛し、畏れ敬い、心から喜んで従う人生の素晴らしさを知ることができますように。何ものにも依存せず、ただイエスと共に、イエスのように神と人とを自由に愛する生き方へ一歩を踏み出しましょう! オンラインでも、キリストの素晴らしさを人々に、さまざまな形で表すことができますように!
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無限スクロールで「自分の日」を見失う!?
デジタルデバイスは私たちの情報源というだけではなく、主要なコミュニケーション⼿段でもあります。
インターネットを介したコミュニケーションの大きな特徴の一つは、リアルタイムという点です。これは互いの絆を強める一助となります。たとえ海外にいても、ビデオ通話や⾳声メッセージですぐに連絡を取ることができます。一方、裏を返せば、ずっとつながり続けていなければならないということでもあります。誰かからのメッセージにすぐ返事をしなければと思うと、スマホを手放せません。常時接続の端末でSNSのフィードなどをダラダラとスクロールしていると、次の大切な聖書の真理を忘れがちです。私たちの時間は有限で、終わりがあるという真理です。
モーセは次のように祈りました。
どうか教えてください。自分の日を数えることを。そうして私たちに 知恵の心を得させてください。(詩篇90:12)
知恵ある人は、自らがはかない被造物であり、ただただ創造主なる神のみこころのゆえに存在しているのだとわきまえます(黙示録4:11)。ですから、与えられた時間が有限であることを心に刻み、適切に管理し、主に喜んでいただけるように用います。
デジタルデバイスで必要以上の時間を費やすことで、私たちは以下のような三つの大切な「時間」を失っていないでしょうか。
- 神と過ごす時間
LINEなどのデジタル・コミュニケーションが、神と私たちとのコミュニケーションの妨げになるかもしれません。スマホやタブレットに続々と通知が届けば、ついつい見てしまうものです。
通勤電車の中で、アプリを活用してデボーションをするんですが、気が付くとついついSNSやニュースの通知をタップしてるんです。ただでさえ限られた時間を神さまにささげたいと思っているのに、よそ事に気を取られてあっという間に時間が過ぎている……。そういう自分の姿に気が付いて祈っていたら、一定時間通知を非表示にする「集中モード」という機能があると知人に教えてもらって、気が散ることが減りました。ただ、それも自分で解除できるので「あなたと過ごす時間を取り分けられるように助けてください」って毎日祈っています。
常に誰かと連絡していると気が散って「神が今の私に望んでおられることは何だろう」と心を向ける時間が減るかもしれません。
「イエスを自分の人生の主とする」とは、今この一瞬一瞬をイエスと共に生きることに他なりません。デジタルデバイスによって、私たちはいつの間にか、主を恐れる者として何より大切にしたい救い主イエス・キリストとの交わりから遠ざけられていないでしょうか。
友⼈たちやネット社会との常時接続に没頭しすぎて、神との常時接続がないがしろにされているかもしれません。
イエスを自分の主、救い主として受け入れ、その⼗字架の死によって自分の罪が取り除かれたと信じることで、神とのつながりは回復されます。それはゴールではなく、スタートです。毎瞬間イエスにとどまり続けることで、神との絆が育まれます。教会だけでなく普段の生活の中でみことばを受け取り、味わい、今の自分と照らし合わせ、具体的に生き方を変えて主に応えていくなら、イエスとのつながりは太く、強く成長します。イエスはぶどうの木で、私たちは枝です。ぶどうの枝がぶどうの実をつけるように、私たちもイエスにとどまるなら、イエスの品性や栄光を表す実を結ぶのです。イエスを離れては、どれだけ葉が生い茂っても実はできません。イエスとつながり続け、従い続けることで私たちはそれぞれ、イエスの実を結ぶことができます。(ヨハネ15:1-11、マルコ11:12-14)
- 家族や仲間とオフラインで過ごす時間
デジタルデバイスに時間を費やし過ぎて、家族や仲間と共有する時間が減っているかもしれません。同じ車に乗っていても画面ばかり見つめて会話がおざなりになったり、同じ食卓についていてもLINEの返信に気が取られ相手の話に集中していなかったり、ということがあるかもしれません。物理的には同じ空間にいても、それぞれが別の世界にいたら、信頼関係を育むことはできません。
仕事から帰ってきてソファーでスマホを見ながら一息ついていると、先に帰っていた中学生の息子が珍しく「あのさ……」と声を掛けてきたんです。でも友人からのLINEに返信していて、相づちはしたけどあんまり彼の話が頭に入ってこなくて、向こうもそんな私を見てすぐ部屋に引き上げていきました。数日後、夫から「あの子、学校でいじめを目撃して、どうしたらいいか悩んでいるみたいだ」と言われて「あの時その話をしたかったんだ。それなのに私はスマホに気を取られて受け止めることができなかったんだ」と後悔しました……。
教会で、子どもの年齢が近いママ友のLINEグループがあって、直接話すよりもそっちの方が盛り上がってたんだけど、その中の一人がこの間、引っ越すって言って転会して、LINEグループも退会したんです。後から人づてに知ったのは、お子さんが学校でのいじめでずっと悩んでいて、結局転校することにしたって……。引っ越し先はそれほど遠くないのに転会だなんて、今すごく後悔しています。LINEでつながってることで満足して、教会では世間話ばっかりだった。オフラインでもオンラインでも表面的な付き合いで、この教会に失望させてしまったんじゃないかって。大変な状況を聞いて祈ることもできなかった。イエスさまが結び合わせてくださった家族なのに……。
神を愛し、畏れ敬う生き方を家族や仲間に示し、伝える機会が減っているかもしれません。それはただ単にオフラインで一緒に過ごす時間が少ないからだけではありません。大切な人や子どもたちと直接話をしても当たり障りのない内容ばかりで、大切な話題を切り出せなくなっていませんか。相手の答えをじっくり待てなくなっていませんか。うまく表現できなくても十分に時間をかけて、自分の考えや思いを言葉で伝える努力ができなくなっていませんか。これらもデジタル・コミュニケーションへの依存による影響です。大切な人が助言や知恵を最も必要とするときに、それに気付くことも応えることもできないとしたら……。話しにくいけれど大切な事を、安心して時間をかけじっくり話し合える関係が育めなければ、心に届く助言をするのは難しいでしょう。
- 身体を休める時間
絶え間ないデジタル・コミュニケーションが身体の休息に必要な時間を削ってしまうことがあります。液晶画⾯から発せられるブルーライトや、刺激によって脳内で過剰に分泌されるドーパミンは睡眠を妨害します。たとえ身体が疲れていても眠れなくなるのです。多くの研究がデジタル機器による心身の健康、特に睡眠パターンへの悪影響を指摘しています。
聖書は、睡眠が神からの賜物だと教えています(詩篇127:2)。大切な睡眠をないがしろにせず、学業、仕事、家事、育児、介護など神が各々に与えられたなすべき業に集中して取り組めるようにしましょう。
どうか教えてください。自分の日を数えることを。そうして私たちに 知恵の心を得させてください。(詩篇90:12)
このみことばを、前後を合わせてもう少し詳しく掘り下げてみましょう。
【みことばを通して神と向き合うために 詩篇90篇】
みことばを一語一句かみしめて受け取る
- 神に造られ有限な時間を生きる被造物として、またイエスとつながり続けなければ実を結ぶことのできない枝として、謙虚に主のみことばを受け取り、じっくりと読み返しましょう。
まるで自分自身がそこにいるかのように味わう
- 作者モーセはなぜ神の怒りに何度も言及するのでしょう。出エジプトやシナイ山での出来事、民の度重なる反逆や偶像崇拝などを踏まえて想像してみましょう。
- 人間のはかなさが骨身に染みてもなお主に嘆願するモーセは、神とどのような信頼関係を築いていたのでしょう。
- 自分の日を数えることで得られる知恵の心とはどのようなものでしょう。
自分自身の内面や置かれている状況と照らし合わせる
- あなたは「ふさわしい恐れを持つほどに」主の「激しい怒りの力を知っているでしょう」か(11節)。十字架上のイエスの姿は神の怒りについて、あなたに何を語っているでしょう。
- 神と人とに仕えるために与えられた時間が有限であると知るとき、あなたの人生設計や優先順位はどう変わるでしょう。スマホやタブレットの使い方はどうでしょう。
- 私たちには自分のいのちを延ばすことができない(マタ6:27)一方、それを自ら縮めるような行動や習慣はないでしょうか。
頭で分かっておしまいにせず生き方を通して主に応える
- (祈りましょう)主よ、スマホやタブレットによって大切な時間を失い得ると意識し続けられるよう助けてください。あなたの知恵によってデジタル機器をより良く使うことができますように。
- 与えられた時間を有効に、存分に用いて主を愛し隣人に仕えるため、スマホやタブレットをどのように使いますか。集中モードやお休みモード、使用時間制限などについても調べてみましょう。
【話し合いのヒント】
デジタル機器には新しい情報を知れたり人とつながれたりと、利点がたくさんあります。しかし神や家族、仲間との絆を弱めたり、健康に不可欠な睡眠を損なう可能性があることを忘れないようにしましょう。私たちの時間は神から与えられた限りある尊い賜物、という聖書の真理を共有するため、以下のような点から会話をスタートしてみましょう。親子を前提にしていますが、大人同士の話し合いにも有益です。自分の価値観を押し付けるのではなく、お互いにじっくりと耳を傾け合い、学び合い、一緒にみことばの知恵を育みましょう。
A. キリストのうちにとどまるために、スマホは役立つ? 邪魔になる?
ヨハネの福音書15章1-11節を読んで「キリストにとどまる」、「実を結ぶ」とは自分にとって具体的に何を意味するか、それぞれ自分の言葉で説明してみましょう。毎瞬間キリストのうちにとどまるための具体的な⽅法を一緒に考えましょう。
B. 家族や仲間との絆はデジタルのつながりよりも大切? それはなぜ?
「そんなの当然だ」で終わりにせず、率直に話し合ってみましょう。対話自体がお互いについてさらに知り、関係を深める契機となるでしょう。「定期的に時間を一緒に過ごすこと」や「お互いに正直であること」など、大切にしたい価値観を言葉にして共有し、試行錯誤を重ねながら育みましょう。
C. ノースマホタイムを設定してみよう。
神や家族、仲間との絆を深めるために、みんなで相談して、スマホに触れない時間を作ってみましょう。うっかりスマホに触ってしまった人が食器を洗うとか、他の人の肩をもむとか、ゲームの要素を取り入れてもよいでしょう。
D. しっかりと眠るためにスマホやタブレットはどう使う?
デジタル機器が睡眠に及ぼす影響についての記事を一緒に読んだり、動画を見たりして、話し合ってみましょう。就寝前に機器の電源を切る、寝室には持ち込まないなどのルールを決めてもよいでしょう。…
オンラインなら誰にも気兼ねせずやりたい放題!?
もはやスマホやタブレットは単なる通信機器ではなく、人間関係を築き、維持し、深める社交ツールでもあります。デジタルネイティブ世代にとって、デジタルデバイスは友だち付き合いに不可欠なようです。以前の子どもたちはグラウンドで一緒に野球やサッカーをしたり、ファストフード店で何時間もおしゃべりに興じたりしていました。最近の⼦どもたちは物理的に一緒にいる必要はありません。オンライン上で一緒にゲームをして(野球やサッカーもオンラインで楽しんでいるようです!)、SNSやチャットで何気ない会話を楽しんでいます。ネット世界は気兼ねの要らない巨⼤空間なので、子どもたちには絶好の遊び場です。最近の子どもたちがインターネット上で絵⽂字やミーム、画像、動画をやりとりしたり、広大なゲームの世界を一緒に探索したりするのは、以前の子どもたちが町中をぶらぶら歩きながらとりとめもない話を楽しんだようなものです。
デジタルネイティブ世代ほどではないかもしれませんが、オンラインでのやりとりが人付き合いにおいてもはや無視できないのはどの世代も同じでしょう。人間関係におけるスマホやタブレットの重要性は高まりつつあります。まず、オンラインでのやりとりの特徴を三つ取り上げた後、みことばが何を教えているかを見てみましょう。
- 思い立ってすぐやりとりできる気軽さ
まず注意すべきなのは、オンラインでのやりとりは手軽にできるので、軽率になりがちだということです。たくさんの人がどんどん書き込み、投稿し、シェアし、コンテンツを拡散しますが、自身の言動を熟慮することはまれです。簡単にやりとりできるため、途方もない量の情報が行き交います。慣れない大人は怒涛(どとう)のように押し寄せるデジタルコンテンツにおじけづくかもしれませんが、物心ついた時からデジタルに親しんでいる子どもたちにはそれが普通です。
- フィルターなし
ほとんどのオンライン・コミュニケーションには、第三者による編集や規制などのフィルターがありません。打ち込んだ言葉が、精査されることなくそのまま相手に届きます。画⾯越しのやりとりでは抑制が効かなくなり、ほんのささいなきっかけから激しい応酬に発展し、対面で決して口にしないような言葉を使ってしまうこともあります。リアルタイム、手軽さ、そしてフィルターなしという要因の組み合わせが電子メール、チャット、SNSなどさまざまな場面で言葉の暴力を誘発します。
- 責任意識の⽋如
画⾯越しのやりとりでは、自分の言動に責任を感じにくくなります。書き込みは後から削除できますし、投稿が一定時間で自動的に消える仕様のサービスもあります。SNSや電⼦メールのアカウントは匿名で開設でき、公開対象の限定も可能です。またインターネット上では、著作権の存在するものの無断複製、違法共有も横行しています。次のような⽅程式が成り立ちます。
匿名での言動が可能 = 責任を負わなくてよい = 見境のない言動
これが「あおり」「誹謗(ひぼう)中傷」「荒し」「炎上」「ネットいじめ」などの温床です。人の命を左右したり大きな経済的損失を与えたりすることもあり、昨今大きな社会問題となっています。
オンラインでの人間関係のための聖書の原則
画面の向こうに手軽で無制限な匿名リアルタイムコミュニケーションの世界が広がっています。混沌(こんとん)としたインターネット空間では大人も⼦どもも好き勝手に振る舞えます。やりたい放題をしても、痛い目を見ることはめったにありません。そんな世界で人間関係を築き、深めようとする私たちに、聖書の知恵は何を教えるでしょう。マタイの福音書12章36節のイエスのことばを見てみましょう。
わたしはあなたがたに言います。人は、口にするあらゆる無益なことばについて、さばきの日に申し開きをしなければなりません。(マタイ12:36)
「あらゆる無益なことば」について聖書学者たちは、私たちが発する無駄で無益な⾔葉のすべて、中身がなく何の役にも立たないあらゆる会話、悪意や偽りや敵対心を含む一切の非難を意味すると説明します。少し時間を取って、オンライン・コミュニケーションの中で「無益なことば」がどのぐらいあるか考えてみましょう。マタイの福音書12章36節の現代版は次のようになるかもしれません。
「わたしはあなたがたに言います。人は、デジタルデバイスで⼊⼒、投稿、転送、クリック、タップ、スワイプするすべてについて、さばきの日に申し開きをしなければなりません」
では、オンラインで知恵を働かせつつ人々と関わるにはどうすればよいでしょう。
知恵ある人は、神がオンラインでの自分の全言動をご存じで、最終的にそのお方の御前に申し開きをすることになるという事実を真剣に受け止めます。誰にも見つからず指摘されなければ何をしても大丈夫、ではありません。神が見ておられ、心を痛められるからです。
また、知恵ある人はオンライン上でも「人からしてもらいたいことは何でも、あなたがたも同じように人にしなさい」(マタイ7:12)という⻩⾦律に基づいて行動します。何かを送信する前に「自分だったら誰かにこんなことを⼊⼒、投稿、転送してほしいだろうか?」と自問しましょう。答えがノーなら、その言動は控えるべきです。
イエスは「いい子にしないと罰が当たるぞ」と私たちを脅しておられるのでしょうか。独裁者のように、恐怖で私たちを支配しようとなさるのでしょうか。決してそうではありません。主への恐れを育むことで、他の何をも恐れずに主を愛し従う自由へとイエスは私たちを招いておられます。
わたしの友であるあなたがたに言います。からだを殺しても、その後はもう何もできない者たちを【恐れてはいけません。】恐れなければならない方を、あなたがたに教えてあげましょう。殺した後で、ゲヘナに投げ込む権威を持っておられる方を恐れなさい。そうです。あなたがたに言います。【この方を恐れなさい。】五羽の雀が、二アサリオンで売られているではありませんか。そんな雀の一羽でも、神の御前で忘れられてはいません。それどころか、あなたがたの髪の毛さえも、すべて数えられています。【恐れることはありません。】あなたがたは、多くの雀よりも価値があるのです。(ルカ12:4-7 強調は編集者による)
聖書は全体を通じて「知恵の初め」である主への恐れを育むようにと教えます。その土台は、神がどのようなお方かという十全な理解です。神は愛のお方で、御⼦イエスを通して私たちに恵みを与えてくださっただけではありません。聖なるお方であり、恵みを受けた私たちが生活のすべてにおいて聖であること、つまり「ご自身の働きのために取り分けられた者」となることを求められます。(Ⅰペテロ1:15-16)それにふさわしくない罪や妥協を、見て見ぬふりはなさいません。オンラインでもオフラインでもこのお方を恐れ、愛し、従いましょう。
わたしはあなたがたに言います。人は、口にするあらゆる無益なことばについて、さばきの日に申し開きをしなければなりません。(マタイ12:36)
このみことばを、前後を合わせてもう少し詳しく掘り下げてみましょう。
【みことばを通して神と向き合うために マタイ12:33-37】
みことばを一語一句かみしめて受け取る
- 主がみことばを通し、心を照らしてくださるよう祈りましょう。これまで気付かなかった自分のずるさや闇が明るみに出されるかもしれません。私たちを責めるためではなく、聖なる者に造り変えようと働いておられる聖霊に信頼しながら、一語ずつゆっくりと読みましょう。
まるで自分自身がそこにいるかのように味わう
- このイエスのことばは、ご自身の奇跡を悪霊によるものだと発言したパリサイ人たち(24節)への返答です。木と実、また倉の例えで何を伝えようとしておられるか、想像してみましょう。
自分自身の内面や置かれている状況と照らし合わせる
- オンラインでの自分の言動を振り返り、「あらゆる無益なことば」を発していないか(36節)、また自分の心に満ちているものは何か(34節)、聖霊の助けを求めながら正直に向き合ってみましょう。
- ただ単に言動を変えるだけではなく、その源としての主を恐れる品性を育むために何ができるでしょう。イエスにどのような助けを求めますか。
頭で分かっておしまいにせず生き方を通して主に応える
- (祈りましょう)主よ、あなたの素晴らしさや偉大さ、恐ろしさをより深く知っていくことができますように。オンラインでもあなたを敬い、あなたに喜ばれる選択をできますように。インターネット上でも⻩⾦律を実践し、あなたのように積極的に人を愛せますように。
- 「無益なことば」ではなく、むしろ自分が送ってもらいたいことばを送信するために具体的にできることを考えてみましょう。例:無条件に「即レス」ではなく内容に応じて時間をかけ熟考する。SNSでは本当に有益なやりとりができる人を見極める。
【話し合いのヒント】
率直に話し合える信頼関係を育むことが大切です。オンラインかオフラインかを問わず、⼀貫して神を恐れ、愛し、神に喜ばれる生き方を求め学び続けられるよう、普段の会話で以下のような点を取り上げてみましょう。
A. オンラインでの人間関係で良いことは? 注意しなきゃいけないことは?
よく知らない相手に知らせてよい情報とそうではない情報の例をそれぞれ挙げてみましょう。
B. 他にもインターネットの世界でのマナーはある?
投稿の内容や言葉遣い、写真や動画の取り扱いなど、どのようなマナーがあるか一緒に考えてみましょう。著作権や肖像権、自分や他の人のプライバシーを守ることについて、年齢に応じて説明するとよいでしょう。
C. オンライン上のやりとりでびっくりしたり、ショックを受けたり、傷ついたりした経験はある?
そのような経験についてお互いに話してみましょう。そのような事態を避けるため何ができるでしょう。また、巻き込まれてしまった際、どうすればよいでしょう。
D. オンラインで「無益なことば」を発してしまったことはある?「無益なことば」の応酬を防ぐにはどうすればいい?
エペソ⼈への⼿紙4章29節を⼀緒に読み、オンラインでの言動を他の人にとって有益で恵みあるものにするため何ができるか考えてみましょう。
E. インターネット上でのいじめってどんなものがある?
一緒に調べてみるとよいでしょう。被害者や加害者はどのような気持ちでしょう。自分が巻き込まれたら誰に相談しますか。またネットいじめの存在を知ったとき、何をすべきでしょう。ルカの福音書10章25-37節を読んで一緒に考えてみましょう。…
好きなだけスマホを使えるのが本当の自由?
デジタルデバイスが情報の取得、コミュニケーション、そして社交の重要なツールであることを見てきました。さらに今日、スマホやタブレットは最も身近な気晴らしの手段でもあるでしょう。多くの利点がありますが、危険性にも注意が必要です。
価値観への影響
スマホやタブレットを通して、いつの間にか自分の価値観が、真理に反する不健全な考え方に流されていることがあります。InstagramやTickTokなどのSNSをはじめ、さまざまなサービスで写真や⾳楽、ショート動画、映画まで、多様なコンテンツが提供されています。どれも良くも悪くも、私たちの価値観に影響を与え得るものです。特に、まだ判断力が未熟な子どもたちは、コンテンツの背後にある価値観を無批判に取り入れてしまうことがあります。
高校生の時にインスタでいろんな⼈をフォローするのにはまってました。芸能人やセレブたちが身近に感じたし「こんなバッグがあるんだ!」「この服すごくすてき!」「この人の肌ってほんとにきれい」とかそれまで知らなかった世界に魅了されて、時間を忘れて見てました。そうしたらだんだん、自分の容姿に自信がなくなってきて……。友だちのかわいい自撮りとか見ると余計に。ダイエット食品とかコスメの広告を見る度に、購入しなきゃいけないのかと真剣に悩みました。
教会学校で「神さまが私たち一人一人を特別に造ってくださった」って聞いてはいました。でも自分の世界としっかりつながってませんでした。自分が聖書と真逆の価値観に影響されてるって、ずいぶん後まで気が付きませんでした。
いろいろなコンテンツが私たちの考え方や感性、⾏動に影響を与えます。その範囲は善悪の判断、価値観、欲求、他者への態度、さらにはセルフイメージにまで及びます。ある報告書はSNSが子どもたちに次のような影響を与えると指摘しています。
- 過激で不適切なコンテンツに触れることで、最悪の場合は生命に関わる事態が懸念される。
- 20の研究の結果、特に10代女子で、自分の身体への不満ならびに摂食障害とSNS使用との間に有意な関係性が認められた。
- 10代の64%が、特定の属性や立場の人々への憎悪をあおるようなコンテンツを「よく、あるいはたまに見かける」と回答。
また、特にコロナ禍以降、陰謀論をまことしやかに語るコンテンツに傾倒する人が増えているそうです。中にはみことばを乱用し、あたかも聖書に基づくかのように主張するものもあります。
アルゴリズムが勧めるままに次から次へとコンテンツを見ていると、考え方や価値観は知らず知らずのうちに押し流されてしまいます。流れに逆らい、健全な価値観を守り育む⽅法を身に付けましょう。イエスはマタイの福音書6章22-23節で次のように語っておられます。
からだの明かりは目です。ですから、あなたの目が健やかなら全身が明るくなりますが、目が悪ければ全身が暗くなります。ですから、もしあなたのうちにある光が闇なら、その闇はどれほどでしょうか。
主は、自分の思考や心に取り入れるものを注意深く選びなさいと言われます。普段何気なく視聴しているものを見直してみましょう。
知恵ある人は主を認め、敬い、愛するがゆえに自分の見聞きするものすべてを主のことばに照らし合わせ、取捨選択します。自分の考えを正当化するために、前後や背景を無視して「根拠聖句」を見つけ出すのではなく、できるだけ聖書全体の文脈を踏まえて判断します。単にアルゴリズムが一定のルールで選ぶものすべてをうのみにするのとは対照的です。
「このコンテンツが伝えようとしているメッセージは何か、みことばはそれについて何と述べているか」をいつも確認します。そしてそのコンテンツに付いている「いいね」やフォロワー、コメントの数より、イエスに「いいね」と認められるかどうかを大切にします。
依存症
適度な気晴らしはストレスを軽減します。しかし、スマホやタブレットで提供されるコンテンツには依存性を持つものがあります。たとえば、最近のオンラインゲームは視覚的な刺激が多く没入感があるだけでなく、絶妙な展開や巧みな報酬設定など、大人でものめり込んでしまう仕掛けが数多く組み込まれています。
大学進学を機に一人暮らしを始めたんですが、なかなか友だちができず暇を持て余して「無料だからいいや」とスマホゲームを始めました。ゲーム自体もおもしろかったんだけど、そこで知り合った仲間とチャットとかでつながれるっていうのも嬉しくて。チームプレイで自分が抜けると迷惑がかかるので、どんどんプレイ時間が長くなっていきました。「仲間」に頼りにされるのが嬉しいからと、高い課金アイテムをそろえるようにもなって。気が付いたら授業やバイトの時間以外はずっとゲームしてて、仕送りの大半を課金に費やしてました。
LINEがずっと未読なのを地元の教会の友だちが心配してくれたんです。最終的にはそこから親にバレて、もめましたが、最終的に謝って。今後のことを一緒に考えてくれました。友だちや親が気が付いてくれて、恥ずかしさもあったけど正直ホッとしました
ゲームの他にもアニメ、マンガ、SNS、ショート動画、ドラマや映画の配信サービスなどインターネット空間は時が経つのを忘れるような娯楽であふれています。自分でやめようとしてすぐにやめられなければ、社会生活への影響の有無にかかわらず依存症です。「特に用がなくてもスマホをチェックしていることがある」「運転など集中力が必要な作業の間もスマホを触ることがある」など10項目のチェックリストを用いた2022年の調査では、社会人(20-50代)の約8割がスマホ依存に該当するという結果が出ています。デジタルデバイスはギャンブルや買い物、ポルノ、恋愛などさまざまな依存への入り口にもなります。
スマホやタブレットを便利に使っているつもりが、いつの間にかスマホに使われている、支配されている……。大人も子どもも、この危険と無縁ではいられません。
しかし、神は私たちを暗闇の力から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。(コロサイ1:13)
パウロは次のように書いています。
実に、すべての人に救いをもたらす神の恵みが現れたのです。その恵みは、私たちが不敬虔(ふけいけん)とこの世の欲を捨て、今の世にあって、慎み深く、正しく、敬虔に生活し、祝福に満ちた望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるイエス・キリストの、栄光ある現れを待ち望むように教えています。キリストは、私たちをすべての不法から贖(あがな)い出し、良いわざに熱心な選びの民をご自分のものとしてきよめるため、私たちのためにご自分を献(ささ)げられたのです。(テトス2:11‒14)
神の恵みは御⼦イエス・キリストを通して与えられています。イエスの⼗字架の死によって永遠の刑罰から救われ、キリストにある者として生きる道が開かれました。この恵みは、私たちの生き方を変えます。私たちの自由を奪い、依存させ、支配しようとするものから私たちを解放するのです。お勧めのコンテンツの数々に身を委ねる必要はありません。イエスを安全なよりどころとして「慎み深く、正しく、敬虔」な⽣活を送ることを選択しましょう(テトス2:12)。
イエスは、人の評価に縛られず、当時の当たり前や慣習にもとらわれず、天の父のみこころに沿って行動されました。
私たちも主のように、しぶしぶではなく自らの意志で、分別をもって自発的に行動することで神と人とにお仕えすることができます。
日々みことばを通して神に出会い、実際の生活の中で主にお応えしていくなら、神は私たちにご自身をしっかりと現してくださいます。神を深く知ることに意識を向けるなら、自分を依存させ、神との歩みから引き離そうとするものに一つ、また一つと気付くでしょう。それはスマホやネット情報に限りません。特定の物や行為だけでもありません。世間で常識と言われることや人の評価が、呪いになることさえあります。自分のプライドがあなたの偶像かもしれません。心の闇をみことばに照らし出されるのはいい気分ではないでしょう。考え方や行動、価値観を変革するのは往々にして勇気や犠牲、痛みを伴います。しかし、使徒パウロは語ります。「今の時の苦難は、やがて私たちに啓示される栄光に比べれば、取るに足りないと私は考えます」(ローマ8:18)
知識や言葉だけでなく、心や身体、行動や態度など全人格でイエスに従う歩みこそが私たちを真に満たし、目先の利益に引かれる誘惑から守り、永遠の視点に立つ賢明な生き方に導きます。それは前例を踏襲し周りに追従する受け身な生き方ではありません。神を恐れ、知恵の心で情報を吟味し、知識を蓄積し、洞察を深め、主に従って課題解決に務め、社会に仕える、行動力に富んだ生き方です。それはイエスが確かに生きて働いてくださることを体験する冒険の日々です。
知恵ある人は、イエスに従い歩むときに神が真の充足と自由を与えてくださると知っています。私たちはその福音に堅く立っています。
ある調査ではスマホやケータイを持つ小中学生の約半数が「依存しているなと思うことがある」と回答しています。スマホの使い過ぎが正常な脳の発達を妨げると指摘する研究や、親子のスマホ依存度に相関があるとする調査結果もあります。まずは大人が自分のスマホ利用を見直すことが肝要です。その上で、スマホやタブレット等の利点と危険性を子どもたちと共有し、話し合い、より良い使い方を一緒に考えましょう。
実に、すべての人に救いをもたらす神の恵みが現れたのです。その恵みは、私たちが不敬虔(ふけいけん)とこの世の欲を捨て、今の世にあって、慎み深く、正しく、敬虔に生活し、祝福に満ちた望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるイエス・キリストの、栄光ある現れを待ち望むように教えています。キリストは、私たちをすべての不法から贖(あがな)い出し、良いわざに熱心な選びの民をご自分のものとしてきよめるため、私たちのためにご自分を献(ささ)げられたのです。(テトス2:11‒14)
このみことばを、前後を合わせてもう少し詳しく掘り下げてみましょう。
【みことばを通して神と向き合うために テトス2:11-3:8】
みことばを一語一句かみしめて受け取る
-
- みことばに向き合うために自分の知識や読解力を十分に活用するのはもちろんのこと、この私を愛し、救い、今も導こうとしておられる主のことばとして聖書に聴くことができるよう祈りましょう。
まるで自分自身がそこにいるかのように味わう
- これはパウロがクレタ島に残したテトスへの手紙ですが、クレタ人は自他共に認める「嘘(うそ)つき」(1:12)でした。キリスト者となっても、その癖はなかなか直らなかったようです。これは建前と本音、表と裏を使い分ける私たち日本人とよく似た状況ではないでしょうか。この箇所、そして手紙全体から彼らに対するパウロ、そして神の願いを読み取りましょう。
自分自身の内面や置かれている状況と照らし合わせる
- 神の恵みを受けた者として、あなたはスマホを使う際にどんな点に注意していますか。
- 神があなたに熱心に励むようにと願っておられる「良いわざ」は何でしょう。
- あなたが模範を示し(2:7)、確信を持って語る(2:15、3:8)相手は誰でしょう。
頭で分かっておしまいにせず生き方を通して主に応える
- (祈りましょう)ただあなたの恵みとあわれみによって私を救ってくださりありがとうございます。礼拝に行く、聖書を読む、祈るといった行為だけでなく、スマホの使い方など日常の行動を通してあなたの恵みにお応えしたいです。すべての人々のために進んで良いわざに励む(3:1-2)ことで、あなたが私を造り変えてくださるお方だということが、家庭でも社会でも表されますように。
- それぞれのコンテンツが伝えようとしている価値観を吟味するために具体的に何ができるでしょう。例:目を通すコンテンツを厳選し、数を追わないようにする。視聴したものの内容を自分の言葉で一文に要約し、聖書の真理と比較してみる。
- 依存の問題を抱えているなら、自分の力では解決できないと神の前に正直に告白しましょう。信頼できる人に打ち明ける、相談窓口や医療、専門家に相談するなど、適切な助けを求めましょう。また、周囲であなたの助けが必要な人はいないでしょうか。
【話し合いのヒント】
普段の会話の中で、さまざまなコンテンツやその背後のメッセージについて話してみましょう。みことばに照らし合わせて一緒に吟味することで、コンテンツを選択する基準やその受け取り方を実地で伝えることができます。
A. このコンテンツはどんなメッセージを伝えようとしてると思う?
SNSの投稿や写真、音楽、映画など、親子で同じコンテンツを一緒に視聴し、背後にどのようなメッセージが込められているか話し合いましょう。みことばに照らして望ましいと思われる点はどこでしょう。そうではない点はどこでしょう。同じコンテンツに両方が含まれることもあります。お互いの考えを共有することで新しい気付きや学びもあるでしょう。すべてをうのみにせず、一つ一つ神のみことばに照らして評価しましょう。
B. 自分の⼼や考えをどうやって守れると思う?
マタイの福音書6章22-23節を一緒に読み、私たちが見聞きして取り入れるものを注意深く選ぶことがなぜ重要なのか、話し合ってみましょう。
C. スマホやタブレットを好きなだけ使えるのが本当の自由?
ガラテヤ人への手紙5章13-26節を⼀緒に読み、スマホやタブレットを使う際にどうして自制が大切か話し合ってみましょう。本当の自由を持っている人はデジタル機器をどのように使うでしょう。スマホやタブレットを適切に使⽤するために何ができるでしょう。キリストにある本当の自由についても話し合ってみましょう。
D. 何のためにスマホやタブレットを使うの?
SNSやグループチャットを使うことで何を求めているのか、また、神のみことばが何を与えてくれると思うか、率直に思いを話してみましょう。本当の安心や健全なセルフイメージを得るために何が役立つでしょう。イエスを愛し、信頼して従うとき、真の充足が与えられるという良い知らせを分かち合い、画面を消し、頭を垂れて共に祈りましょう。…
はじめに
小中学生に1人1台ずつタブレットなどデジタル端末が学校から貸与される時代です。公園や電車の中、ショッピングモール、イベント会場、教会、家庭の食卓でも、スマホにくぎ付けの人たちを見かけます。
デジタルデバイスでは時間や場所を選ばず、ありとあらゆることができます。調べ物や家族とのやりとりはもちろん、ゲームに没頭したり、動画を見たり、音楽を聴いたり、SNSで友だちや有名人の投稿をスクロールしたり。新しい知識の獲得、日常的なコミュニケーション、社交や気晴らし……。今日では「タップ」と「スワイプ」だけで事足ります。
デジタル機器は利点が多く生活に欠かせないものになりつつありますが、デメリットもあります。例えばスマホ依存やネット依存の低年齢化が指摘されていますが、それは子どもだけの課題ではありません。
中学生の娘に「今日一日中スマホ見てるよ」って注意するんですけど、自分も仕事から疲れて帰ってくると、夕飯を準備しなきゃと思いながらも「ちょっとだけ息抜き」ってスマホでSNSや動画を見て、気付くとかなりの時間を浪費してるときがあって……。これじゃ説得力ないですよね。
この小冊子は、年齢にかかわらずスマホやインターネットとの適切な関わり方を模索するあなたのためのものです。
私たちはスマホやインターネットを、主に次の四つの目的で利用しているのではないでしょうか。
- 一番身近な情報源
- コミュニケーションの手段
- 社交ツール
- 気晴らしの手段
これからその一つ一つを聖書の知恵に照らしながら考えていきましょう。各章の終わりには、みことばを受け取り、味わい、今の自分と照らし合わせ、生き方を通して主に応えるための手引きが付いています。ご自身、ご家庭、あるいはグループでじっくりみことばに取り組み、聖書の知恵を実生活に当てはめる一助となれば幸いです。
また、本書のもう一つの目的は、家庭や職場、教会などで子どもたちと関わる方が聖書の知恵を次世代に手渡す助けを提供することです。
今後ますますデジタル化する社会を生きる子どもたちは、聖書の知恵に基づいて考え、判断し、行動することを身近な大人と一緒に学ぶ必要があります。画一的なルールだけでは、生成AIなどの進歩による急速な変化に対応できません。誰かの意見をうのみにせず、自分自身の頭で熟考して正しい情報を見分け、みことばに照らして評価し、新しいツールを駆使して神と共に問題を解決する経験を積み重ねることは、これからの時代に地の塩、世の光として生きるために必須です。各章末には、日常生活の中で子どもたちと話し合うきっかけとなる質問が付いています。聖書の知恵は教会など特別な場所だけでなく、各家庭での会話を通して伝えられ、育まれるからです。補足として、保護者のための具体的なヒントも付いています。
これまでにもスマホの使い方を変えようとして挫折した経験があるかもしれません。また、子どもたちとデジタルデバイスやインターネットの使用について話し合うなんて自分にできるだろうかと不安かもしれません。でも、まず重要なことは、自分の力だけでは自身も他者も変えられないと認めることです。私たちは、抱えている不安も、弱音も、葛藤も、すべて神に正直に打ち明けることができます。偉⼤な慰め主、心の広い助言者であり、唯一の贖(あがな)い主である主イエスは、私たちそれぞれに必要な励ましや洞察、勇気を必ず与えてくださいます。このお方に祈りつつ、信頼し、具体的に取り組んでいきましょう。
スマホやタブレットの使い方を一緒に考えることで、皆さまや子どもたちが主イエスを愛し、畏れ敬い、心から喜んで従う人生の素晴らしさを知ることができますように。そして何ものにも依存せず、流されず、ただイエスと共に、イエスのように神と人とを自由に愛する生き方へ一歩を踏み出すことができますように。
*このプランは弊社公式サイトで公開している同タイトルの探求の書を再構成したものです。注釈などはWeb版、もしくはPDF版をご参照ください。
*聖書は特に記載のない場合は、聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会を引用
何でも検索すればOK? 全部AIにおまかせ!?
「今度修学旅行で行く京都についてプレゼンテーションをするんだけど」と12歳の息子にタブレットを見せられ、その出来栄えにびっくりしました。いろいろな名所の写真や動画が上手に活用されているだけじゃなく、それぞれの歴史や特徴がすごく分かりやすくまとめられていたんです。たった2時間で作ったなんて信じられませんでした。後日、学校の図書館で実際に図鑑や書籍を使って確認もするんですって。インターネットやデジタル機器の積極的な活用を小学校で学ばせるなんて、自分が子どもの頃とは全然違いますね。
インターネットにあふれる情報の総量はもはや想像もできません。今⽇、大人も⼦どもも、かつてないほど膨大な知識へ簡単にアクセスできます。幼い子どもはスマホやタブレットで文字の読み書きや数え⽅を学んでいますし、大きくなればアプリで数学の問題を解いたり、AIで英作文を添削したりします。勉強だけではありません。レッスン動画を参考にドラムを練習したり、バッティングフォーム改善のコツも動画で一目瞭然です。聖書を学ぶときにも、元々のギリシャ語やヘブル語の意味まで簡単に調べることができます。
今やインターネットは私たちにとって一番身近な情報源ではないでしょうか。ゆで卵の作り方? 大好きなバンドの最新情報? 知らない駅での乗り換え? 心配な人を励ます聖書箇所? 検索でほぼ即座に解決です! 生成AIが進歩すれば、一層便利になるでしょう。
知りたい情報を簡単に取得できるのはありがたいことです。しかし、情報をより多く集めれば良い判断ができるかというと、必ずしもそうではありません。良い判断には知恵が必要です。
箴言9章はソロモン王が、その王位を継ごうとする息子に語った教えのまとめです。知恵は「浅はかさを捨てて……分別のある道を、まっすぐに歩」ませる(6節)と語った後、次のように総括します。
主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟ることである。(箴⾔ 9:10)
知恵の本質は、ことの善しあしを悟ることです。この分別の土台は、神を神として認めることだと賢者ソロモンは語ります。そうすれば、入手する知識や情報の本質を見極め、より分け、適切な言動を選択することができるからです。
スマホやタブレットを通して提供される文章や画像、動画、あるいは音声などの情報すべてが、必ずしも有益とはいえません。有害なものもあります。誤情報もあります。浅はかな考え方に導いたり、健全な人間関係を阻害したり、神との絆を軽視させたりするものもあります。
ですから知恵が必要です。知恵はスマホなどの使い方を吟味させてくれます。自分が見聞きするものを適切に選ぶことは、真心から神と共に生きるために大切です。
「あなたがたが、あらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころについての知識に満たされますように。また、主にふさわしく歩み、あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる良いわざのうちに実を結び、神を知ることにおいて成長しますように」(コロサイ1:9-10)
誤情報や有害な情報も含め、どんな情報にも簡単にアクセスできる今日、大人はもちろん、⼦どものうちから分別を養うことが重要です。子どもに分別の重要性を教えるのに早すぎるということはありません。成長して情報へのアクセスが増えるほど、それらを見分ける知恵が必要になるからです。分別がなければ、興味本位で得た情報によって良からぬ結果に至ることもあります。一方、情報を分別でふるいにかける力が備わっているなら、情報を理解や洞察に高めていくことができます。情報は知識に変わる可能性を秘めた原材料です。それゆえに見分ける力、分別が必要不可欠です。
7歳の娘に自分のスマホを使わせていたのですが、履歴に男女交際や不倫についての動画が並んでいることに気付きました。思わず娘を叱りたくなりましたが、正しい判断ができるように神に祈り、まずは彼女の話を聞くことにしました。友だちが「付き合う」ということについて話していて、気になったので調べたということでした。ネットの情報がすべて正しいとは限らないこと、犯罪などに巻き込まれる危険性があることと合わせて次のように伝えました。「『付き合う』ということは神さまがとっても大切にされることだから、私たちも大切にしたいんだ。気になったらネット検索ではなくてまずママやパパに尋ねてね。何回でも喜んで説明するし、一緒に考えたいんだ」。気付かなければどうなっていただろうかとぞっとします。
⼦どもにふさわしくない情報を遮断するペアレンタル・コントロールやフィルタリングも利用できますが、完全ではありません。また、そのような機能が⼦どもたちの内に分別を育むことはありません。
最も大切なのは、親や身近な大人が知恵ある心、つまり神への畏怖や尊敬を持ち、このお方の価値感に沿って子どもと関わり、育てようと務めることです。
子どもたちが何か疑問を持ったときに、インターネットで検索する前に大人に尋ねられるような関係作りが必要です。答えにくい質問もありますが、感情的に否定したり無視したりせず、まずはそのまま受け止めましょう。どうして知りたいのか、理由を尋ねてもよいでしょう。必ずしもその場で答える必要はありません。「後で調べて答えるね」と約束することもできます。分からないことは正直にそう認めましょう。子どもの疑問に誠実に向き合うことは、私たち大人に神から託された大切な役割の一つです。
主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟ることである。(箴⾔9:10)
このみことばを、前後を合わせてもう少し詳しく掘り下げてみましょう。
【みことばを通して神と向き合うために 箴言9:1-12】
みことばを一語一句かみしめて受け取る
- 聖書のみことばを単なる情報ではなく、私たちを造り変える権威あることばとして心から受け取ることができるように祈りましょう。一文ずつ、一語ずつ、思い巡らしながら何度か読み返しましょう。(余裕があれば1章から9章まで続けて読むと、より理解が深まります)
まるで自分自身がそこにいるかのように味わう
- ソロモン王が息子に伝えようとしたことは何なのか、思い巡らせてみましょう。
- これから一国を担う息子は、これらの言葉をどのように受け止めたでしょう。
自分自身の内面や置かれている状況と照らし合わせる
- ソロモン王がその重要性を懇々と語る知恵は、検索などから得られる情報とはどのように異なるでしょう。
- ソロモンが語る知恵、また箴言全体に示された知恵に照らして、自分のスマホやタブレットの使い方を振り返ってみましょう。神に喜んでいただいていると思うこと、喜ばれていないと思うことをそれぞれいくつか挙げてみましょう。
- 自分が関わる子どもたちに、あなたはソロモン王と同じ事を願いますか。
頭で分かっておしまいにせず、生き方を通して主に応える
- (祈りましょう)主よ、何にもましてあなたを恐れ、愛し敬うことを教えてください。知恵を⼤切にし、デジタルデバイスを使うときにもあなたに喜ばれる選択をする⼒を育めますように。
- 分別をもってスマホやタブレットを使うために、今日からできることは何でしょう。早速実行してみましょう。うまくいったことを主に感謝しましょう。すぐにうまくいかなくても大丈夫。「知恵を得よ」と招いておられる主が助けてくださいます。どのように改善できるか祈りつつ、くじけず、何度でもチャレンジしましょう。
【話し合いのヒント】
神に喜ばれる選択をする⼒を育むには、日頃から機会を捉え、子どもと対等な立場で率直に話し合うことが大切です。大人の側は普通に話し合っていると思っても、子どもの方は「大人の価値観を一方的に押し付けられている」と感じていることがあり得ます。本当に感じたり考えたりしていることを口にしても大丈夫だと伝え、実際に安心できる雰囲気を作りましょう。お互いに聞き合い、一緒に考えましょう。以下の質問は大人同士の話し合いにも有益です。
A. 知識と知恵の違いは?
いくつか例を挙げて考えてみましょう。知識は大切ですが、それを取捨選択し適切に用いるための知恵はもっと重要です。聖書は知恵がどこから来ると教えているでしょう。
B. クリック/タップ/スワイプできるものは必ずそうしなきゃダメ?
「できること」と「すべきこと」の違いを一緒に考えましょう。何かをクリック/タップ/スワイプするかどうか決めるとき、どうやって神との関係を思い起こし、最優先にできるでしょう。
C. スマホやタブレットを使っていて「これを見聞きするのは神さまが喜ばないな」と感じたことはある?
神を愛し敬うために、自分が見聞きするものを選択する必要があります。一緒にニュースサイト等を開き、表示される見出しや広告、動画などの中で神に喜ばれないものはどれだと思うか、どうしてそう思うか話し合ってみましょう。また神に喜ばれない選択をしたとき、どうすれば良いかも話し合いましょう。
D. インターネット上の情報は全部正しい?
インターネット上には間違った思い込みや誤解に基づく情報、意図的なうそも流れていることを伝えましょう。生成AIによるフェイク画像やフェイク動画について一緒に調べてみましょう。真理を求めるキリスト者として、情報源を確認したり他の情報と付き合わせたりして真偽を確認すること、そして何でも軽はずみに「いいね」や「シェア」せず不確かな情報を拡散しないことも大切です。
E. それはあなたの考え? それとも他の人の考え?
検索やSNS、その他アプリで表示される情報は完全な無作為ではなく、アルゴリズム(コンピュータでの演算や処理の手順)が一人一人の傾向や好みを学習した結果の反映だと伝えましょう。それを意識していないと、同じような価値観のコンテンツばかりにさらされ、その結果、他の考え方に触れる機会が減り、特定の意見を絶対視して異論に耳を傾けなくなってしまいます。またSNSを通して「特定の顔や体型に近づかなければ周囲に受け入れられない」と思い込んでしまう中高生の増加が社会問題になっています。インターネットを賢明に、健全に使う大切さについて話し合いましょう。
F.どんな疑問や質問も検索やAIで解決できる?
年齢や理解度に応じて異なる説明が必要なこともあります。百聞は一見にしかず、言葉や動画より実体験が重要なケースもあります。また何年もかけて自分で考え続けるべき問いもあります。神の知恵によって、あえて答えが隠されているということもあります。インターネットに答えを求めるには不適切な問いがあること、また親や信頼できる大人と共に考える大切さを確認しましょう。一緒に聖書に知恵を求め続けましょう。
大きな分断
スヌーピーの漫画で、かぼちゃ大王を信じているライナスが非難されます。彼は落ち込んで「話すべきでない三つのことを学んだ……宗教、政治、かぼちゃ大王!」と言います。
麗しい愛
耕された畑には秘密が隠されていました。リー・ウィルソンは、50回目の結婚記念日に備えて、妻のレネーに前代未聞の壮大な花の贈り物を計画していました。自分の畑の32万平方メートル以上(東京ドーム約7個分)を取り分け、こっそり無数のひまわりの種を植えたのです。やがて妻のお気に入りの黄金の花120万本が、空を見上げて咲き乱れると、レネーは、夫の麗しい愛に驚き、圧倒されました。
瞬時の祈り
ミシシッピー州の気象予報士マット・ローバンは、2023年3月24日、激しい嵐をレーダーで解析中、巨大な竜巻がエモリー市に襲来しようとしていると気付きました。それでテレビの天気予報の最中に、一瞬、間を置いて、こう祈りました。「愛するイエスよ、どうか住民をお助けください。アーメン」。そう祈るしかない状況だったのです。しかし、この祈りのおかげで避難したと後で語った視聴者もいました。彼の心の込もったとっさの祈りによって、数多くの命が救われたかもしれません。