モンテゴベイ行きの搭乗準備ができたとアナウンスがあったので、搭乗券とパスポートを取り出そうとリュックに手を入れました。パスポートがありません。高校生たちを引率してジャマイカに宣教旅行に行こうとしているのに。生徒たちは、私を待合室に残して搭乗しました。

それから4日間、パスポートを再発行してもらうために必死でした。電話をかけまくり、1,000キロの道のりを運転し、2日以上かけて、ワシントンDCに行きましたが、無駄足でした。最終的に、地元の議員事務所の助けで新しいパスポートを入手し、生徒たちに合流しました。

パスポートの重要性は身に染みました。外見は単なる手帳なのに、これがなければ行きたいところに行けません。しかし、人生の終着点を決めるもの、すなわち、イエスを信じる信仰と比べるなら、大して重要ではありません。罪からの救い、主にある新しい命を保証しているのは、この信仰だけです。

聖書は「今こそ、救いの日」と語ります(Ⅱコリ6:2)。使徒パウロは、救いの夜明けはキリストだ、という現実を説明しています。キリストを信じるなら、神の愛を体験し、全ての被造物が、主によって贖(あがな)われ、回復されることを体験します。「わたしたちはその方によって神の義を得ることができた」(5:21)の意味が分かりますか。それを本当に知っているか、今、確認しておきましょう。