教会に新しい家族が訪れました。私は車いすの少女に膝をついてあいさつし、私の介助犬カリーを紹介し、彼女のピンクのメガネと靴を褒めました。少女は言葉を話しませんが、その笑顔から、この出会いを喜んでいると分かりました。

その時、別の少女がおずおずと近づいて来て、「お洋服が素敵だと伝えて」と小声で言いました。私は「自分で言ってごらん。この子は優しいよ、あなたみたいに」と言い、言葉がもらえなくても友だちになれるし、笑顔で話しかければ、好きだと分かってもらえると説明しました。

普通ではない、皆と違う、などと認識されると排除される。私たちの世界では、そういうことが起こります。しかし、神は、その違いを喜んで、神の家族に招き入れてくださいます。詩編138編で、ダビデは「わたしは心を尽くして感謝し 神の御前でほめ歌をうたいます」(1節)と語り、その「主は高くいましても 低くされている者を見ておられます」(6節)と賛美します。

聖(きよ)く貴い神は、私たちに対し、特に私たちがへりくだるときに、優しい目を向けられます。世間で排除されがちな人に優しく親切になれるように助けてくださいと祈るとき、自分も完全ではないのに、神が愛していてくださると確認し、感謝することができます。