
神はあきらめない
エバンは長年、依存症に悩まされ、神に愛される資格などないと感じていました。ずっと教会に通ってはいましたが、神と自分の間には、埋めることのできない溝があるようでした。

釣りざおと新しい友
ある日の午後、パティは近所の川のほとりで釣りをしました。魚釣りではありません。最近、この地区に引っ越してきたので、友だちが欲しかったのです。さおの先には、餌もルアーもありません。彼女は、頑丈なチョウザメ用のさおにクッキーの袋をくくりつけ、暑い夏の日に川下りするゴムボートの人たちに差し出しました。そのおもてなしは、皆にうけたようです。この独創的な方法で、彼女は隣人たちと知り合いになりました。彼女は文字通り、友だちを釣りに行ったのです。

イエスが平和
ジョアンは傷つきました。教会の友人たちがレストランで楽しむ姿をSNSで見るのは、今月2度目です。彼女は確かに人付き合いが下手ですが、仲間はずれはあんまりです。そんな人たちの教会に行くなんて変だと思いました。

人の世話をする
友人のドウェインの母シャーリーンは94歳で、とても小柄な人です。しかし、健康上の理由で自活できない息子のために、できるだけのことをします。彼女の部屋は、家の2階にありますが、客が来ると、ゆっくり16段の階段を降りてきます。愛する息子の介護を手伝うときもそうです。
赦すこと、赦されること
多くの人は、「赦し」とは、無条件の恩赦を与えることであり、相手を愛するためには赦さなければならないと思っています。一方で、「赦し」は憤激や遺恨から自分を解放する手段なので、自分のために赦しなさいと言う人もいます。ところが、これらの「赦し」は、決して肯定的な結果を生んでいません。「赦し」は、クリスチャン生活で最も誤解されている教えです。聖書は、「赦し」について、どう語っているのでしょう。この冊子から学んでみませんか。