父の葬儀の後、家族は河原に行き、各々が父をイメージする石を拾いました。父の人生には浮き沈みがありましたが、家族思いなことは分かっていました。私は、拾った石の滑らかな表面をなぞった時、父を近くに感じました。

ルカによる福音書19章は、イエスがエルサレムに凱旋(がいせん)入城し、群衆が神を賛美して「主の名によって来られる方、王に、祝福があるように」(38節)と声を上げたと語ります。ファリサイ人たちは、これはメシアに対する冒涜(ぼうとく)だと思い、弟子たちを黙らせるようにとイエスに命じましたが、主は「もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす」(40節)と応じられました。

石は叫びます。神は歴史の中で石を用いられました。例えば、粗削りの二枚の石板に、私たちが従うべき10の戒めを刻まれました(出34:1)。ヨルダン川の畔に積み上げられた記念の石は、神の備えと忠実さを子々孫々までイスラエルに思い出させました(ヨシ4:8-9)。イエスの体を墓に閉じ込めた石は、イエスのよみがえりを証しするために開かれました(マタ27:59-66、ルカ24:2)。この石は、「わたしは復活であり、命である」(ヨハ11:25)というイエスの御言葉を思い出させます。

石の叫びに耳を傾け、石と共に賛美の声を上げましょう。