英国の司教ウィリアム・テンプル(1881-1944)は、ある時、オックスフォード大学の礼拝説教の最後に『栄えの主イエスの』を歌うように導きました。しかし、その歌詞を軽く見ないように忠告し、「歌詞の意味を本気で実行する気なら思いっきり歌いなさい。さもなければ黙っていなさい。少し本気で、もっと本気になりたいなら、小さな声で歌いなさい」と言いました。すると会堂は多くのささやく歌声で満たされ、「ああ主の恵みに 応うる道なし わが身のすべてを 主の前に献(ささ)ぐ」(讃美歌21 297番)という最後の部分を意味深くしました。
大学生たちは、イエスを信じて従うとは、真剣勝負なのだと理解しました。それは徹底的に愛するという献身を意味するからです。キリストに従うとは自分の全てを献げることです。イエスは弟子たちに「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(マタ16:24)とはっきり言われました。信仰の選択は軽々しくすべきではありません。
一方、イエスに従うことは深い喜びに至る道です。それを選択した人は、神と共にある充実を知ります。これは非常に逆説的です。神の愛に応答してキリストを信じ、利己的な目先の利益を捨てるならば、あなたの心が渇望する人生を手にすることができます(マタ16:25)。
イエスを信じて、その教えや模範、御心に従うと、何を得て、何を失うと思いますか。