サッカーのスター選手、サディオ・マネがイングランドのプレミアリーグ、リバプールでプレーしていた時のことです。年俸数十億円のマネが、画面にひびの入ったiPhoneを使っていました。それを写真で見た人たちがジョークの種にしましたが、マネは冷静に対応しました。「どうしてフェラーリ10台、ダイヤモンドの時計20個、ジェット機2機を欲しがらなくてはいけないんだ。僕は昔、お腹を空かせていた。畑で働き、裸足で練習した。学校にも行けなかった。でも今は、人を助けることができる。学校を建て、貧しい人たちに食べ物や着る物を贈ることを望むよ。……僕に与えられたものを使ってね」。マネは、母国では大勢の人たちが劣悪な環境にいるというのに、自分の稼ぎをため込むことが、いかに自分勝手か分かっていました。ヘブライ人への手紙を読むと、マネのような姿勢は、裕福な人だけでなく皆のものであるべきだと分かります。著者は「善い行いと施しとを忘れないでください。このようないけにえこそ、神はお喜びになるのです」と記しました(ヘブ13:16)。気前の良さは正しいだけでなく、神を笑顔にすると語っているのです。神を喜ばせたくない人がいるでしょうか。
気前の良さは、金額ではありません。生き方です。「御心を行うために」(21節)できることの一つは、持っているものを気前よく分け与えることです。
あなたが気前よく施した善い行いは何ですか。あなたが与える心を育むために役立ったものは何ですか。