左目の周りの炎症を化粧で隠し、しばらく様子を見ましたが、赤く腫れた斑点は治らず、医者に診てもらおうと予約しました。診察の朝、いつものように化粧をしようとしてやめました。医師にきちんと見てもらって、早く良くなりたかったからです。

自分の汚い部分を隠そうとしたことはありませんか。その汚い部分は、自分の思考や行動を支配している罪だと気付いているのに、それを認めず、祈ったり、信頼できる家族や友人に相談したりしていない、ということはありませんか。他の人も似たり寄ったりだから大目に見ても問題ないと思っていませんか。しかし、密かな罪が心を汚しているなら、キリストを信じる信仰は育ちません。箴言28章13節は、罪を隠している者は栄えないと語ります。一方、ありがたいことに、「告白して罪を捨てる者は憐れみを受ける」(13節)とも語っています。

悪いことを悪いと認め、あなたの態度や行いに対する神の倫理観を受け入れることには葛藤があるかもしれません。しかし、神の優しさは謙虚に認める一歩を踏み出させてくれるはずです。主の御霊の力を己の葛藤の中に迎え入れるなら、肉の欲望や肉の業のいざないを拒めるようになります(ガラ5:16-17、22-24)。神が導いてくださるので、決意するなら自分を変えることは可能です。霊の健全性のために努力するのは価値ある行為です。