私の3歳の姪は、状況にかかわらずイエスを信頼できることを理解し始めています。ある雷雨の夜、彼女は就寝前に両手を合わせ、目を閉じて祈りました。「イエスさまは、ここに一緒にいます。私のことが大好きです。止まれと言えば、風も雷も止まります」

おそらく最近、イエスと弟子たちがガリラヤ湖を渡る話を聞いたのでしょう。突風で転覆しそうなのにイエスが舟のともで眠っておられた話です。弟子たちはイエスを起こして「わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言いましたが、主は答えずに、自然に向かって命じられました。「黙れ。鎮まれ」(マコ4:38-39)

すぐに打ち付ける波が止まり、吹き荒れる風も収まりました。そして静けさの中でイエスは問われました。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」(40節)。弟子たちが目を丸くしてイエスを見つめ、その濡れた顔からしずくがひげを伝って落ちていく。そんな光景が目に浮かびます。

今日、私たちが、あの瞬間の弟子たちが覚えた畏怖の念を持って生きたならどうでしょう。また、イエスの権威と力を改めて意識し、さまざまな課題や心配ごとを見てみたらどうでしょう。子どものような信仰が不安を拭ってくれるかもしれません。そして、どんな嵐にも主の憐(あわ)れみのままに立ち向かうのだと信じられるようになるかもしれません。