自分以外の人のために
昔、ギターが上手な教会の人を褒めた時、彼は「ありがとう。これが僕のミニストリーだから」と言いました。またこの言葉です。私は「ミニストリーって何?どうやって自分のミニストリーを持つの?」と思いました。しかし、彼は楽器が弾けるので、その技術を他の人のために使っている、単にそういうことだと分かりました。その後、私は人を元気にする才能があると気付きました。教会のメンバーに電話をして話を聞いたり、メッセージを送ったりすると、こちらも温かい気持ちになるのです。華々しさのない賜物で、少しがっかりしました。けれども、私は、それが賜物とは分からない時分から、賜物を使っていたのです。
聖杯
イエスが「最後の晩餐(ばんさん)」で使われた「聖杯」に、人々はあこがれてきました。アーサー王と円卓の騎士たちの伝説は、この聖杯探索に対する執着を克明に伝えています。彼らは聖杯に魔法の力があると信じていました。インディー・ジョーンズの映画では、父ヘンリーのこの「生涯の探求」が成就します。
神の御前で健やかに
動物学者は、食べ物を前にしたアカウミガメは、体を縦に傾け、口を開け、前肢(フリッパー)を打ち合わせ、くるくる回るという愛らしい仕草、「カメダンス」をするといいます。しかし、電波干渉があると、食べ物を察知する体内の「GPS」が不調になり、ダンスを邪魔するのだそうです。
物惜しみしない愛
孫の11歳の誕生日をレストランでお祝いしました。息子が誕生日の子に「何が食べたい?」と尋ねると、「サーモンがいいけど、高すぎるね」と答えました。すると息子は「今日は誕生日だから、それが食べたいなら、それを頼もう」と言ったのです。孫は大喜びでした。
羊飼いの心
ティムは自宅の庭で迷子の子鹿を見つけました。その後、森から出てきた鹿の群れに出くわしました。1頭の雌鹿は特に周囲に神経を尖らせているようでした。子を見失った母親なのでは、と考え、子鹿の助けを求める鳴き声をスマホで検索し再生しました。すると雌鹿がついて来たので、茂みでじっとしている子鹿のところに案内してあげました。子鹿は乳を飲み始めました。不安からの解放。母子の再会。全てはティムの思いやりのおかげでした。
信仰によって歩む
夜の祈祷(きとう)会に参加しようと、その女性は教会堂へ続く階段を、一段一段、極めて慎重に登っていました。痛みと息切れで、立ち止まった時、一人の男性が通りかかり言いました。「一歩ずつですよ。そうすれば必ず着きます。急がずゆっくりいきましょう」。彼女は力をもらったかもしれません。そして、この女性に向けられたその言葉は、疲れた心で歩いていた私のことも、確かに励ましてくれました。
キリスト者同士の協力
ニューヨーク市のブルックリン橋の建設は1869年に始まりましたが、主任技師ワシントン・ローブリングが、重病に倒れました。彼の妻エミリーは、夫の設計図・仕様書を含む一切の計画書を懸命に理解し、必要な修正を加え、助手たちに指示を出しました。エミリーは全力を尽くして夫を助け、1883年に橋が開通すると、馬車で最初に渡りました。夫は彼女の「卓越した才能」と「工事と工学的計画に関する深い理解」を称賛しました。
イエスにとどまる
喜びは記憶されてこそ完全に成熟する。これは、C.S.ルイスの『沈黙の惑星を離れて』の登場人物の言葉です。それは、追憶の喜びを語っています。ハイキングで絶景を見て感動したり、大切な人と記念日を祝ったりする喜びは本物です。しかし、それは喜びの始まりといってよいでしょう。その瞬間(またはそれに類する瞬間)を、後で振り返った時、その時の喜びが増幅されるのです。
成長させてくださる神
ラム・ワイチャンは、日本の教会に仕えようと国を出ましたが、着いて慌てました。会員はわずか20人。日本のキリスト者は、総人口の1%未満。宣教師の墓場と言われて久しく、多くの教会はがらがらです。まるで沈みかけた船を引き継いだ気分だった、と彼は言います。そこで必死になって祈ると、神の語りかけを感じました。「教会を私に返しなさい」