アイルランドの聖ブレンダンを題材にしたフレデリック・ビュークナーの小説で、主人公が仲間の修道士ギルダスの片足は、膝から下がないと気付く場面があります。ギルダスはつえを取ろうとしてバランスを崩し、ブレンダンが支えます。ギルダスは、「私は闇に包まれた世界と同じぐらい傷ついている」と言います。ブレンダンは答えます。「もしそうなら、私とて同じだ。倒れそうになったら互いに手を貸し合う。結局のところ、それが唯一の意味ある働きなのだろう」

さて、ダビデ王はサウル家の生存者を憐(あわ)れみたいと考えました(Ⅱサム9:1)。唯一の該当者はヨナタンの息子で両足が萎(な)えているメフィボシェトでした(3節)。彼が召喚に応じると、ダビデは「祖父サウルの地所はすべて返す。あなたはいつもわたしの食卓で食事をするように」(7節)と告げ、以後そのようになりました。

ダビデの物語には、巨人相手の戦いや敵軍と繰り広げる戦闘など、映画になりそうな数多くの華々しい場面があります。しかし、メフィボシェトの話のように、彼が不遇な人に手を差し伸べる温かい逸話もきちんと記録されています。

輝かしい成功はさておき、結局、最も意味ある行為はダビデがメフィボシェトに示した親切だ、ということになるかもしれません。そんな誰かに手を貸すことは、私たち普通の人間が日常的にできる主の働きです。