木曜日の夕方、車の中でブレンダとエディの恒例の会話が始まります。「どこで食べる?」「どこでもいい」。「じゃあ、ウインドミルはどう?」「ダメ。そこ以外」。「じゃあどこにする?」「だからどこでもいいってば!」

人ごとなら笑ってしまいますが、誰もが一度は経験した類(たぐい)の話ではないでしょうか。 では、私たちの祈りはどうでしょう。この例のようにあいまいではありませんか。一方、旧約聖書のダニエルは具体的に祈りました。彼は最初に「わたしたちは罪を犯し悪行を重ね」(5節)と民族の罪を告白し、次に「わたしたちの神よ、僕の祈りと嘆願に耳を傾けて……ください」(17節)、「主よ、聞いてください。主よ、お赦(ゆる)しください。主よ、耳を傾けて、お計らいください」(19節)と嘆願しました。ダニエルには、願いをかなえてもらえる権利などありません。にもかかわらず、思い切って大胆な嘆願をしたのは、ダニエルが、神を「深い憐(あわ)れみ」(18節)のお方だと信じていたからです。

十字架の前夜のイエスのように「わたしの願いどおりではなく、御心のままに」(マタ26:39)と祈ることは正しいことです。一方、自分の願いを言語化することで、打開の糸口が見つかる場合もあります。悔い改めた心で御前に出るなら、神は大胆さを尊んでくださいます。ですから勇気を出して正直に、具体的に祈りましょう。そして憐れみ深い神に結果を委ねましょう。