マリーは見舞いに来たラヒームを見てにっこりしました。彼は命の恩人です。自宅前で転倒し脳内出血を起こした時、宅配業務中のラヒームが気付き、救急車を呼んでくれたのです。彼はお見舞いに小さな菓子を持参します。それもまたマリーの回復を助けてくれます。ラヒームはイスラム文化に由来する名前です。私は良きサマリア人のたとえ話を思い出しました。
律法の専門家が永遠の命を授かる行為を尋ねた時、イエスは律法の教えどおり「隣人を自分のように愛しなさい」と答えられました(ルカ10:26-27)。すると彼は、自分の隣人とは誰ですかと言います(29節)。そこでイエスは、強盗に襲われた同胞を後目に道を急いだ祭司とレビ人と「そばに来ると、その人を見て憐(あわ)れに思い、……包帯をして、……介抱した」(33-34節)というサマリア人の話をされました。当時の社会状況を考えれば、サマリア人がユダヤ人を助ける筋合いは全くなかったのですが、彼は躊躇(ちゅうちょ)せず助けました。
イエスは3人の内の誰がこの人の隣人かと尋ね、律法の専門家は「その人を助けた人です」(37節)と答えました、そこで主は言われました。「行って、あなたも同じようにしなさい」(37節)。キリスト者なら、困っている人を見て見ぬふりはできません。愛の心で助けましょう。これは実行を求める教えです。イエスの愛を分かち合いましょう。
そんな筋合いは全くない。でも助けてあげよう、と行動することはありますか。そんな筋合いはないことは分かっている。でも「助けて!」と思ったことはありますか。

