オンラインニュースのコメント欄に書き込むことは、誹謗(ひぼう)中傷や個人情報流出などのリスクがあり、気を付けなくてはなりません。一方、そこは意見の交換の場でもあります。不死に挑戦する億万長者に対するインタビュー記事に、マタイによる福音書16章25節をコメントした人がいました。「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。―イエス・キリスト」

すると別の人が応答しました。「その人のことを書いてある本がなかった?」3人目は「えぇ、おとぎ話だけどね」と投稿しました。

キリスト信仰を嘲笑する人は、いつの時代にも存在します。アテネの評議や審議が行われる場で、使徒パウロがキリストのことを語った時の人々の反応もさまざまでした。死者の復活ということを聞くと、あざ笑う人もあり、「いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言う人もいました(使17:32)。一方、信仰に入った人もいました(34節)。

聖書に対して、何を思い、どう行動するかは、その人と神の間のこと。ただ、私たちの体は死にゆく運命で、不死身の体という主張こそおとぎ話です。一方、聖書は「道であり、真理であり、命である」(ヨハ14:6)お方を指し示しています。

私たちの役目は、パウロのように、聞く耳のある人に、イエスの愛と御業を伝えることです。その後のことは、聖霊を信頼して委ねればよいのです。