小型機の狭い通路にぬっと立ち上がった人は、『イエスのようになれ』という本をこれみよがしに持っていました。しかし、他の人を押しのけて荷物カートから自分のバッグを取っているのを目撃したのです。イエスの行動とは正反対です。
エスカレーターでも本を見せびらかしていて嫌な感じでした。その時「エリサ、イエスのようになれ。裁くな」と、私の心で声がしました。
イエスのようになるとは、変容のプロセス――例えば、生物学でいう「完全変態」のようなもので、私たちが、神の道に心を開き、自分の全てを神に委ねるとき、神はご自分の品性を私たちの内に育んでくださいます。使徒パウロは、イエスを信じる者は「栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです」(Ⅱコリ3:18)と語り、使徒ヨハネは、この真理の理解、ましてや具現化が、いかに難しいかについて、「わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです」(Ⅰヨハ3:2-3)と述べました。
エスカレーターを降りる時、私は、あの本をちらっと見て、「人の振り見て我が振り直せ」だと気を引き締めました。
どんな部分でイエスのようになりたいと思いますか。変容のプロセスにおいて、神の御業に対する自分の協力とは、どういうことだと思いますか。