日曜学校の時間、私の忍耐は限界に近づいていました。3歳児のピーターは機嫌が悪く、他の子どもにも意地悪でした。一番人気のおもちゃをあげても、まったく満足しません。優しい気持ちがいら立ちに変わり「強情なままなら親のもとに返そう。彼が遊べなくなっても仕方がない」と思いました。
私の優しい気持ちは、しばしば条件付きです。助言を無視されたり、手助けを拒まれたりすると、もう放っておけばよいと思ってしまいます。しかし、神の対応は違います。
預言者ヨナは、神の命令に従わなかったのですが、神の憐(あわ)れみに救われました。
神はヨナにニネベに行って宣教するように命じられました。しかし、ニネベと反対方向に行く船に乗り込み、嵐に巻き込まれ、海に投げ出され、大魚に飲み込まれました(ヨナ1:3-4、15-16、2:1)。自業自得の災難です。しかし、彼が「自分の神、主に祈りをささげ」ると(2:1)、神はなおも耳を傾け、赦(ゆる)し、彼を大魚の腹から救い出し、再挑戦の機会を与えてくださいました(3:1)。
前述のピーターの場合も、スタッフの機転で野外の遊び場に連れて行くと、機嫌が直りました。このスタッフは、私以上の忍耐を示したのです。自業自得だと言われても仕方がないときでさえ、何度も求めてくださる神の憐れみとは、何と素晴らしいものでしょう。
忍耐強く憐れむのが難しいことがあるのはなぜでしょう。神の愛が届きそうもないような人に届いたケースを知っていますか。