アフリカの水飲み場に置かれたライブカメラの衝撃のシーンを、母が実況中継のように詳細に語ってくれたことがありました。立派な角を持ち、簡単には怯まないはずのオリックス(ウシ科の大型動物)が、勇敢で騒がしいダチョウの群れに遭遇して状況が一変。長身の先頭のダチョウが、羽を大きく広げて揺らし、大きな鳴き声を上げ、地面を踏み鳴らして突進。その気迫に押されたのか3頭が逃げ出したといいます。私は「オリックスは自分たちの角の威力に気付いていなかったんだね」と言いました。
サタンに攻撃されたとき、キリスト者も自身の力を忘れがちです。私たちには内住の聖霊がおられます(ロマ8:11)。また、「悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい」(エフェ6:11)と聖書が語るように、神の武具を持っています。
サタンは、聖書の御言葉や神の子どもにされたという事実を疑わせたり、罪を犯すようにそそのかしたりしますが、私たちは、敢然と立ち向かうことができます。なぜなら、神の武具である真理の帯、正義の胸当て、信仰の盾、救いの兜(かぶと)、そして霊の剣である神の言葉があるからです(14–17節)。
不安や非難、誹謗(ひぼう)中傷、または絶望、というサタンの攻撃を受けるとき、自分は神の子だということを、また、応戦し勝利できる神の武具が備わっていることを思い出しましょう。
神の武具を用いることを、なぜ忘れてしまうのでしょう。どうすれば葛藤に毅然(きぜん)と向き合うことができるでしょう。