アンデスの細い山道を、バスがぐんぐん登っていきます。チームの面々は、楽しそうに歌ったり笑ったりしていましたが、私は不安な気持ちで車窓を見つめていました。ガードレールもない断崖絶壁の道を、上へ上へと登り続けているのです。この短期宣教チームは、エクアドルのこんなへき地になぜ行くのだろう。そんな疑問がふと頭をかすめるや否や、私は悟りました。そこにいる方々のために死ぬ目的で、神が御子を地上に送られたのなら、神はこの方々を強く愛しておられるはずだ、と。その愛を伝えるためならば、この怖さなど乗り越えられるはずだ、と思いました。

結局、私たち宣教チームは、有意義な時を過ごしました。私たちを歓迎してくれた人々は、聖書の話や私たちの体験談に耳を傾け、一緒に祈ったりもしてくれました。

使徒パウロは、イエスを伝えることに尽力しました。「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」からです(ロマ10:13)。また、こうも問いかけます。「ところで、信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣(の)べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう」(ロマ10:14-15)と。

私たちの周りにもキリストを知らない人がいます。そういう人に福音を語り、彼らのために祈り、教会の集いや礼拝に招きましょう。