ウィスコンシン州のウィネコンネが州の発行する道路地図から誤って削除され、町の観光収入が激減しました。町は州から分離独立すると宣言し、この事態を州政府の恥だと言う人もいました。一方、ユーモアある皮肉だと言う人もいました。やがて両者は和解しました。
しかし、大概の分断は、このような無邪気なものでも、容易に解決できるものでもありません。分断は脅威です。箴言が、「主の憎まれるもの」の一つに「いさかいを起こさせる者」(6:16、19)を挙げているほどです。
分断は、諸問題の発端というだけでなく、天の父と御子イエスの一体性とかけ離れています。イエスは十字架にかかられる前夜、イエスを信じる人たちが、主にあって一つになるように祈られました。「そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようにな」ると言われたのです(ヨハ17:21)。
イエスは、キリスト者が調和して生きること(あるいはそうしないこと)は、世間の人のキリストに対する評価に影響を与えると明言されました。使徒パウロが「平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい」(エフェ4:3)とエフェソの教会の人々に勧めたのは、そういう理由からかもしれません。キリストの霊が、私たちを一つにされることを妨げないようにしましょう。そうすれば、世の人々はイエスに引き寄せられるかもしれません。
教会の人と距離を保ちたいと願うとき、その理由は何でしょう。キリストの体の調和を体験するために、分断の種となる問題と向き合って、どう解決に努めますか。