前衛アーティストのマイケル・ランディは、衝撃的なパフォーマンスをしました。自分の全所有物7227点を公衆の面前で破壊し、粉砕してしまったのです。近くのデパートに買い物客が出入りする中、このパフォーマンス・アートは、所有物が自分を定義するという価値観に疑問を投げかけました。
これは大切な問いです。なぜなら、大半の人は、無意識ながら、自己像を構築するため、将来の安心のために物を買うからです。
イエスは、富を蓄えてぜいたく三昧の生活をする計画を立てた人のたとえ話をされました。「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」(ルカ12:19)。ところがその夜、彼の命が「取り上げられ」たら何が残るでしょう。最も大切なことを見落とした人に残るものは、神の叱責のみです(20-21節)。
金品を持つことは罪ではありません。マイケル・ランディにも服が必要でした。しかし、持っている物が自分という人を物語ると思いそうなとき、イエスは「人の命は財産によってどうすることもできない」(15節)と語られます。所有物が全て取り去られても、あなたが神の最愛の子であることに変わりはありません(詩103:17、エフェ5:1)。この確実な自己定義のおかげで、私たちは神の前に、また人の前に豊かになることができます(21節)。
あなたの所有物は、あなたがどんな人だと語っていますか。「神の前に豊か」になるとは、あなたにとって、どういう意味ですか。