我が家の愛犬ウィンストンは、今、私の足元で丸まっています。私が、彼の隣にあった椅子から、このテーブルに移動するのを見て、3メートルは離れすぎだと思ったのでしょう。

最近、出張が多かったせいかもしれません。私に外出する気配があったり、「行く」と言ったりしただけで、駆け寄ってまとわりつきます。

まとわりつくというのは、人間同士では褒められたことではありません。しかし、私の犬のそれは、私を信じ、私に依存しているという主張、詩編63編の告白を映していると思います。

ダビデはここで神に対する愛着と依存を描出しています。「神よ、あなたはわたしの神。わたしはあなたを捜し求め わたしの魂はあなたを渇き求めます」(2節)。「あなたの慈しみは命にもまさる恵み。わたしの唇はあなたをほめたたえます」(4節)。「わたしの魂はあなたに付き従い あなたは右の御手でわたしを支えてくださいます」(9節)

ダビデのように、また、愛犬の依存のように、私も神を頼りたいと思います。自分の全ての分野で、神を求め、神に依存したい。しかし、できるときもありますが、心が冷めているのか、中途半端なときもあります。それでも、不信仰を悔い改め、主に立ち帰ると、「乳と髄のもてなしを受けたように」(6節)心を満たしてくださるのは主だけだ、と実感します。