トリナは、完売のイベントのチケットを無料でもらいました。それを、聖書に挟んでおいたのですが、当日、その聖書が見つかりません。保存食の戸棚まで必死に探している所を目にした息子が不思議がると、「他の場所は全て探したし、イベントの開始まで30分しかないのよ。最初から全部見たい」と答えました。息子が「幸運の女神が去っていく恐怖だね」と言うと、母親は、声をあげて笑いました。そして二人で探索に戻ると、トリナの夫が帰宅して、「車の中に忘れていたよ」と、聖書を差し出しました。
思いがけない幸運や千載一遇のチャンスに喜ぶことは悪いことではありませんが、幸運を願う気持ちが、幸運を取り逃がす可能性に対する恐れに簡単にすり替わってしまいます。それどころか、神が幸運を隠したとか、自分のことを見ておられない、と疑う誘惑に駆られたりします。しかし「天地を造られた主」(詩121:2)は、不眠不休の守り神であり与え主です(3-7節)。ですから、遠回り、遅延、チャンスの取り逃がしなどにやきもきする必要はありません。神は、私たちが「出で立つのも帰るのも……とこしえに」(8節)見守っておられます。
苦しみの時、喜びの時、その間にある平凡な日常。どんな時も、私たちは、神のまなざしに守られているのですから、神のご計画である諸々の経験を取り逃がすことはありません。
神のまなざしはあなたの生き方にどう影響を与えますか。ある幸運を取り逃がしたことで、それ以上の祝福にあずかったどんな経験がありますか。