エセルとエドは、ロッキー山脈の高地砂漠の牧場に住んでいます。訪問すると、家は思い出の品々で満ちていました。会話はやがて、子ども時代の思い出になりました。ノースダコタの草原、モンタナで牛を追った日々……。老境に差し掛かった二人の声に、私は深い郷愁の響きを感じました。
詩編137編も同じ思いを記しています。捕囚のイスラエル人は、望郷の念に駆られていました。「バビロンの流れのほとりに座り シオンを思って、わたしたちは泣いた」(1節)、「わたしたちを捕囚にした民が 歌をうたえと言う……どうして歌うことができようか 主のための歌を、異教の地で」(3、4節)と。
捕囚から帰還する願いは、旧約聖書の預言書を貫くテーマです。そしてイスラエルは、ついに故郷に帰ります。エルサレムを再建し、定住しますが、かつての輝きは戻りませんでした。神殿が再建されても、それは、かつての面影をわずかに残すだけだったので、昔の栄光を覚えている人たちは涙に暮れたのです(エズ3:12)。
老齢になると、壮健だった自分が指先からこぼれ落ちていくように感じるかもしれません。しかし、キリスト者にとって、望郷の念は、過去ではなく未来に対する憧れです。私とエセル、エドとの話題は、結局は、未来の永遠の我が家になりました。そこは、全てが正された、想像をはるかに超えた栄光の我が家です。
過去の何を懐かしいと思いますか。その想いはどのように未来への期待へとつながりますか。