Category  |  老い/老齢

望郷

エセルとエドは、ロッキー山脈の高地砂漠の牧場に住んでいます。訪問すると、家は思い出の品々で満ちていました。会話はやがて、子ども時代の思い出になりました。ノースダコタの草原、モンタナで牛を追った日々……。老境に差し掛かった二人の声に、私は深い郷愁の響きを感じました。

へたったテント

ケニアのナイロビにいる牧師で友人のポールが、「私たちのテントはへたってきた」と書いていました。この教会は、2015年からテントのような場所で礼拝してきました。そして今、「このテントは古くなって、雨漏りがする」のだそうです。

どんな時にも意味がある

エイダは家族や友人に先立たれ、介護施設で暮らしていました。「年をとって一番辛いのは、皆が逝ってしまい、ひとり残されることよ」と言いました。私が生きがいは何かと尋ねると「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です」(ピリ1:21)という使徒パウロのことばを引用してこう言いました。「生きている限り仕事があります。体調が良い日は、施設の人たちにイエスについて話し、具合が悪い日は祈ることができます。」

孫のサラは幼い頃、人は死んだら身体を残して顔だけが天国に行き、そこで新しい身体を頂くのだと言っていました。もちろん、私たちの永遠に関するサラの見解は幼稚ですが、彼女は根本的な真理をつかんでいます。つまり、私たちの顔はある意味で、私たちのたましいを映し出す鏡だということです。

レッドハックル

数年前、2世紀のギリシャの作家アイリアノスの作品の中に、釣りに関する言い伝えを見つけました。「動物の生態について」という本には、「ボロカとテサロニカの間にアストラカスという川が流れている。そこに斑点のある魚(マス)がいる」と書かれています。そして、「魚に勝利する罠がある。フックの周りに真っ赤な毛糸を結びつけ、ふたつの羽をつけて投げ込むと、魚はその色に惹かれ、一口食べようと思って上がってくる」と続きます。このルアーは今日も使われていて、「レッドハックル」と呼ばれます。その使用が史実に記録されているのはさらに古く、紀元前2世紀ですが、今も現役の仕掛けです。

この贈り物

何年も前、私は杖のコレクションをしているとエッセーに書きながら、いずれは杖を卒業して歩行器になるかもしれないと思っていました。そして、ついにその日が来ました。腰の問題に末梢神経の障害が加わって、三輪歩行器を押して歩くことになったのです。ハイキングや釣りなど、大好きだったことができなくなりました。しかし、この身体の制約は、それが何であろうと神の賜物です。そのことを今、学ぼうとしています。そして、この賜物を用いて、神に仕えていかなくてはなりません。これは、すべての人に言えることで、制約が肉体、情緒、知性のどこにあろうと同じです。神は弱さの中に現れるので、自分は自らの弱さを誇ると、使徒パウロは大胆にも語っています(Ⅱコリ12:19)。

心を強くする

長年通っていた近所のジムが、先月閉まってしまい、別のところに通い始めました。前いたところは温かい雰囲気で、おしゃべりをしながらトレーニングをする人が多かったので、汗をかくことが無いくらいでした。しかし、今度のジムは、真剣に身体を鍛えようとしている人ばかりです。激しいトレーニングと緊張感…。彼らの身体は確かに屈強です。しかし、心の方はどうでしょう。恵みで強められているでしょうか。

休み、待つこと

ある日の昼下がり、イエスはヤコブの井戸の脇に座って長旅の疲れをいやしておられました。弟子たちはスカルの町にパンを買いに出かけています。そこに町の女が水を汲みに来て、イエスと出会いました。そして走って町に戻り、いっしょに来て、私のしたこと全部を私に言った人を見てくださいと、人々に言って回ったのです(ヨハ4:29)。

老い支度

さり気なく「おばさん、調子はどう」と尋ねると、関節痛を患う84歳の友人は、「老いることはきついわ」と小さな声で言いつつも、「でも神は、ずっと良くしてくださったから…」と真心から語りました。