寄稿者

すべて見る

寄稿一覧 Ade Chandra

見られている

1年で聖書を!
◆ イザヤ書64-66
聖書のみことば マタイ5:13-16
 
あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。―マタイ5:16

あるプロフットボールのチームは毎週のように負け、最悪のシーズンを送っていました。そのとき、試合で負け続けているときに、モチベーションを保ちベストを尽くす秘訣は何かと、ある選手に尋ねた記者がいました。「父が試合を見ています。母も試合を見ています。私はこれからもベストを尽くします」と、その選手は答えました。

つながっている

1年で聖書を!
◆ イザヤ書61-63
聖書のみことば イザヤ書40:27-31
 
疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。―イザヤ書40:29

妻が自宅でパソコンを使っていた時のことです。ふと気づくとバッテリーの充電量が残り少なく、今にも終了しそうでした。電源コードはちゃんとパソコンに差してあったので、内蔵バッテリーを使っているはずはありません。

夢と希望

1年で聖書を!
◆ イザヤ書58-60
聖書のみことば 使徒20:16-24
 
私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、―使徒20:24

私が1960年に通った高校では、生徒全員が「タレント・プロジェクト」という調査に参加しました。数日間、各教科に対する適正を調べるためのテストを受けました。それに加えて、将来の夢や希望、計画について述べるように言われました。これはアメリカで行われた最大規模の高校生のリサーチ研究で、1,300校から40万人が参加していました。

価値がある

1年で聖書を!
◆ イザヤ書55-57
聖書のみことば ヘブル11:8-16
 
しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。―ヘブル11:16

私たち夫婦は、友人がオーストラリアのホバートに何度も旅行するのを不思議に思っていましたが、彼女に誘われて、一緒に行くことにしました。空港から橋を渡って市街地を抜け、郊外に行きました。これと言って何もない風景です。いくつかのヘアピンカーブを曲がりながら、ゆっくりと急な坂を上ると眼下に海岸線が見えましたが、それも普通の景色です。

壁を壊す

1年で聖書を!
◆ イザヤ書52-54
聖書のみことば エペソ2:14-18
 
信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。またキリストによって、……信仰によって導き入れられた……―ローマ5:1-2

東ドイツに50数年前に住んでいた人たちにとって、「壁」という言葉は、どこにでもある普通の壁を意味するのではなく、1961年8月13日に建設が始まった東西ドイツを分断する壁のことでした。やがてその「壁」は有刺鉄線と武装した警備員たちによって守られ、向こう側に行くことはほとんど不可能になりました。

疑いと信仰

1年で聖書を!
◆ イザヤ書49-51
聖書のみことば ヨハネ20:24-31
 
私の主。私の神。―ヨハネ20:28

神を信じられないときがあるというクリスチャンが、主に仕えて十分に用いられることがあるでしょうか。成長し成熟したクリスチャンは、決して自らの信仰を疑わないと考える人たちがいます。私たちは、信仰から信仰へと歩みを進める経験をします。しかし、一時的に疑いを抱く経験も、同じようにするのではないでしょうか。

見る目

1年で聖書を!
◆ イザヤ書46-48
聖書のみことば ヨシュア記3:1-11
 
あなたに向かって、私は手を差し伸べ、私のたましいは、かわききった地のように、あなたを慕います。―詩篇143:6

モアブの丘から「約束の地」を初めて見たとき、がっかりしました。「昔、イスラエル人たちが到着したとき、彼らの見た風景は、これとは違っていましたか?」私は、エリコの方角を見ながら、ガイドに尋ねました。ヨルダン川の西側には、がらっと違う光景が広がっていると思っていたのです。

捜して救う

1年で聖書を!
◆ イザヤ書43-45
聖書のみことば ルカ19:1-10
 
人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。―ルカ19:10

オーストラリアのニュー・サウス・ウェールズ州の総督を1810年から1821年まで務めたラクラン・マッコーリーは、全員一致の新しい入植地を作るという方針を打ち出しました。

捕囚の慰め

1年で聖書を!
◆ イザヤ書40-42
聖書のみことば イザヤ書39:5-40:5
 
慰めよ。慰めよ。わたしの民を―イザヤ書40:1

マサチューセッツ州ランカスターの入植地に暮らす50世帯の人々は、先住民に襲われるかもしれないと恐れていました。1675年2月10日のことです。清教徒牧師のジョセフ・ローランドソンは、村を守って欲しいと政府に懇願するため、妻のメアリーと子どもたちを残してボストンに出向きました。