私たちは警告文に取り囲まれて暮らしています。薬の箱には「服用上の注意」、缶入スープには「賞味期限」、電動のこぎりの「警告」などは、利用者に危険がおよばないように注意を促しています。最近、ある人から贈答品が送られてきましたが、その箱にも「こわれもの!取扱注意」と書かれた大きな赤いステッカーが貼ってありました。
ハリー・タッパーは、ここアイダホでは「伝説の釣り師」として知られています。州東部のヘンリー湖にある「タッパー・ホール」という釣りポイントは、彼に因んで名づけられました。
ダルトン兄弟は19世紀の後半に実在した悪名高き無法者たちでした。もともとは法の番人である保安官でしたが、徐々に堕落して犯罪に手を染めるようになり、銀行強盗や列車強盗として悪名をとどろかせました。けれども、ふたつの銀行を同時に襲撃しようとしたときが、年貢の納め時になりました。
私の集う教会では「この部屋には」という歌をよく賛美します。その歌の出だしは「この部屋には、私のような者にも有り余るほどの愛がある」です。みんなで礼拝に集い賛美をするなら、クリスチャンは励まされます。けれども、本当に大切なことは、礼拝の場にキリストがおられるということです。
アメリカの風刺画家は、街角にイーゼルを置き、お金を払ってくれた人たちの似顔絵をユーモアたっぷりに描きます。その人の特徴を大げさに表すのですが、似ている上にとても愉快な絵になり、見る人を楽しませてくれます。
アメリカの挨拶は、「いかがですか?」と聞かれて「元気です」と答えるのが常です。ところが、この「元気です」を意味する単語が、「良好」を意味するFINE(ファイン)から、「良」だけでなく「善」も意味するGOOD(グッド)に変わってきました。最近ではこちらが一般的です。
うそを見抜く専門家によると、人間の自然な傾向は人を信用することだそうです。けれども、誰もが常に信用できるわけではありません。うそをついている人の特徴は、そわそわする、目を合わせない、会話に不自然な間があるなどです。しかしながら、正直な人とうそをついている人を見分けるのは極めて難しいと専門家たちは言います。
友人のマイクは心臓移植学の専門医です。そしてエゼキエル36章26節を、多くの人は分かり得ないであろう感覚で理解し、感謝しています。彼は心臓移植手術患者の術前術後ケアを担当しているので、執刀医が、病気で変色した心臓を摘出し、ドナーが提供したピンク色の「新しい」心臓を移植するとき、手術室にいることがよくあるのです。
デンバー神学校の前学長であり名誉総長でもあったヴァーノン・グラウンズ博士が、96歳で天に召されたとき、卒業生や同僚、友人たちは、次々と賛辞と哀悼の辞を述べました。そのほとんどは、グラウンズ博士の個人的な関わりを感謝するもので、彼の教鞭や助言、また優しい笑顔によって、どれほど励まされたかというものでした。