なぜ今、行けないのですか
◆ 創世記27-28
◆ マタイ8:18-34
ダビデは、その生きていた時代において神のみこころに仕えて後、死んで ―使徒13:36
友人は長年、宣教師としてスリナムで働きました。そして晩年、病気で身体が麻痺しました。「神はなぜ、僕を生きながらえさせるのだろう。主のもとに行きたいのに…」と彼は思いました。
「生きているのが辛い」という状況の人がいたとしたら、なぜ、神はこんな状態をつづけられるのか、と思うかもしれません。イエスが御国に戻っていかれるとき、「主よ。なぜ今はあなたについて行くことができないのですか」(ヨハ13:37)とペテロは尋ねました。ペテロのように、今すぐ御国に入れていただけないのはなぜだろう、と思うかもしれません。
召される
◆ 創世記25-26
◆ マタイ8:1-17
主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。―創世記12:1
大学時代の友人は、今までに会った人の中で最も頭が良い人です。彼は州立大学で学んでいるときにクリスチャンになり、優等卒業学位を授与され、有名な神学大学院で学びました。そして、故郷の家族や友人から遠く離れた、へき地の小さな教会の招聘に応じて牧会にあたりました。12年が過ぎたとき、彼はその教会には新しいリーダーが必要だと感じて辞表を出しました。大きな教会や、キリスト教系の大学、または神学大学院で教えて欲しいという招聘があったわけではありません。実際、次の仕事はなかったのですが、神が自分を別の方向に導いておられると確信していたので、そこを去るという召しに従いました。
関わる
◆ 創世記16-17
◆ マタイ5:27-48
しかし、[イエスは]サマリヤを通って行かなければならなかった。―ヨハネ4:4
南フロリダにあるノレーナの家は、1992年に襲来したハリケーン・アンドリューで大破しました。損害保険を使って修理を始めたものの、途中で資金が底をつき、電気の通っていない家を残して業者は去っていきました。ノレーナは15年もの間、延長コードで接続した小さな冷蔵庫といくつかのランプでしのぎました。驚いたことに、隣人たちは彼女の大変な暮らしに気づいていませんでした。ところが、どういう訳か、この話が市長の耳に入ったのです。市長は、援助の手を差し伸べました。市長が電気業者に連絡を入れると、ほんの数時間で電気が使えるようになったのです。
神を愛する者
◆ 創世記10-12
◆ マタイ4
心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。
―マタイ22:37
アッシジの聖フランシスの短い伝記をG.K.チェスタートンが記しています。アッシジの聖フランシスは12世紀生まれの独自性豊かであわれみ深い人物ですが、チェスタートンは、彼の心の内を垣間見ることから始め、次のように述べています。「聖フランシスは、人類ではなく人を愛しました。彼は、キリスト教ではなくキリストを愛しました…アッシジの聖フランシスという偉大な神秘論者にとって、宗教は『理論』のようなものではなく『恋愛』のようなものだったのです。そのことに合点がいくまで、読者にとって聖フランシスの話は非常に突飛なだけで、何か意味があるとはとても思えないでしょう。」