小さな親切
アマンダは老人ホームを巡回する看護師ですが、11歳の娘ルビーをよく一緒に連れていきます。ルビーは時間つぶしに「3つだけ欲しいものがもらえるなら、それは何ですか?」とホームの住人に尋ね、その答えを書いていました。驚いたことに、多くの望みは、ソーセージやチーズ、チョコレートパイやアボカドというちょっとした物でした。そこでルビーは、クラウドファンディングをして、彼らの望みをかなえています。プレゼントを配るときはハグをしました。「元気をもらうの。本当に嬉しくなるの」と彼女は語ります。
光を輝かせる機会
金融業を引退したホイットニーが2020年3月、ニューヨークのセントラルパークを歩いていると、十字架をつけた知らない慈善団体のトラックが何台もありました。防水シートやテントを積んでいます。 コロナ患者の仮設病院を設営していると聞くと、彼は出来ることはないかと尋ねました。そして、宗教や政治理念が異なるにもかかわらず、何週間も支援しました。彼は、出会った人は皆、純粋に良い人で、自分の街がどうしようもなく困っていたとき、誰に雇われるでもなく助けに来てくれたと、彼らの行為を賞賛しました。
今日、私があるのは
トーマス・エジソンは、学校になじめず成績も良くない7歳の少年でした。ある日、先生から「とんま」と言われて憤慨し、翌日からは、教師だった母親と家で勉強することになりました。母の愛と励まし、そして天賦の才によって、エジソンは偉大な発明家になりました。彼は後に「今日私があるのは母のおかげです。必ずや立派になると真摯に信じてくれました。この人を失望させないように全力を尽くそうと思っていました」と書いています。
イエスは何者か
人はイエスを何者と言うのでしょう。偉大な教師だが、1人の人間でしょうか。『キリスト教の精髄』の著者として有名なC.S.ルイスは、私たちは二者択一しなくてはならないと語ります。この人が神の子であり、今もそうだと考えるか、それとも精神を病んだ人、もしくは悪人と断じるかであり、偉大なる教師などというのは、おためごかしにすぎないと述べています。
伝道の公式
ジェンは子どもの頃、日曜学校で伝道の「公式」を学びました。聖句を暗唱し、福音を伝える手順を覚え、間違えないようにドキドキしながら、友人といっしょに別の友人に試しました。そのイベントで救われた人がいたかどうか覚えていません。たぶんいなかったでしょう。それは人ではなく公式に重きを置いている感じでした。
できないと言わない
ジェンは両足無く生まれ、病院に置き去りにされました。養子縁組をして、愛情を注いでくれた人たちのおかげで、今日があると語ります。養父母は、決して、できないとは言わせず、生まれついた身体には意味があると納得させてくれ、どんな夢を追うことも応援してくれました。彼女は現在、曲芸師として活躍しています。困難に対しては前向きの姿勢で臨み、人にもそうするように勧めます。
闇と光
私はこの世界の破れ目の一端を裁判所で目撃しました。疎遠な親子、かつての愛が憎しみに変わった夫婦。妻の赦しと家族の再建を切望する夫。この人たちには、心が変えられ、傷が癒やされ、神の愛に圧倒されることが、絶対に必要です。
勇士
ディート・エマンはドイツ軍が1940年にオランダに侵攻するまでは、家族や友人と楽しく過ごし、仕事をしたり、恋をしたりという普通の女性でした。彼女は「危険が戸口まで迫ってきたら、人はダチョウのように砂の中に頭を埋めたくなるものです」と語っていますが、実際は、ナチスに抵抗するように神に命じられたと感じて行動しました。それは、命の危険を冒してもユダヤ人や他の抑圧された人々の隠れ家を探すことでした。この年若い内気な女性は、神の勇士となったのです。
神の召し
ケイシーは不良少年のリーダーで空き巣や車上荒らし、コンビニ強盗、グループ間の抗争に仲間と共に明け暮れました。逮捕され、服役中も、囚人のボス的存在で問題を起こしました。そして独居房に入れられ、ぼんやりしていた時のことです。自分の人生の出来事が、走馬灯のように脳裏を駆け巡り、十字架に釘付けになったイエスが、彼に話しかけました。「これは君のためだ」。ケイシーは泣き崩れて回心しました。彼がこの経験を刑務所のチャプレンに話すと、チャプレンはイエスについてもっと教えてくれ、聖書もプレゼントしてくれました。