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Bill Crowder

Bill Crowder

ビル ・ クラウダー氏は、コンテンツ部門の責任者です。Discovery Series (探求の書シリーズ) や Discovery House Publishers に数多くの著書があります。クラウダー氏と妻マーリーンには 5 人の子どもと数人の孫があります。

寄稿一覧 Bill Crowder

子羊のように

聖書のみことば:イザヤ53:1-9

ほふり場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。—イザヤ書53:7

イタリアの芸術家カラヴァッジオは1602 年に、「キリストの逮捕」という絵を描きました。初期バロック様式のこの作品には、人をひきつける力があります。この絵画の暗い色合いによって、それを見る人々は、イエスがゲッセマネの園で捕えられた場面に遭遇することができます。この絵を見ると、ふたつの点に引きつけられます。まず、口づけをする裏切り者のユダです。そして、イエスの手です。イエスの両手は軽く組まれていて、この不正な逮捕に対して、まったく抵抗する意図のないことを示しています。キリストは全宇宙を創造する力をお持ちでしたが、自ら進んでご自分をささげ、捕えられて十字架にかかられたのです。

このようなことが起こるずっと前、イエスは「だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる」と語られています(ヨハ10:18共同訳)。預言者イザヤは、イエスがいのちをささげられることを預言し「ほふり場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない」(イザ53:7)と記しました。

犠牲の羊になられたキリストの姿は、このお方の力強い愛を如実に表しています。イエスは「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません」(ヨハ15:13)と説明されました。イエスはこれほどまでに、あなたを愛しておられます。

釘を打たれたイエスの手は、愛に満ちた神のみこころを表している。

知られて、愛されて

多くの人、特に子どもたちに愛され、歌い継がれてきた賛美歌は、アンナ・B・ワーナーが1800年代に作った「主、我を愛す」です。この歌の英語の原詩は「イエス、我を愛す。我、それを知る」と歌います。

大きい世界、もっと大きい神

ミシガン州北部を車で走っていると「世界がこんなに大きいなんて、信じられないわ」と妻が言いました。赤道と北極の中間点、北緯45度線の標識を通過した時です。世界は大きく人間はちっぽけです。しかし、その世界も宇宙の一片のほこりに過ぎない小さな惑星です。

ウクライナのクリスマス

恵みの賜物:祝う理由

いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。—ルカ2:14

ウクライナのクリスマスのお祝いには、数々の素敵な習慣があります。例えば、ベツレヘムの飼葉おけを忘れないために、食事のテーブルの上に干し草の束を置きます。お祝いの中で、救い主がこの世に来てくださった夜の出来事を再現したりもします。クリスマスの祈りがささげられ、その家の家長が「キリストがお生まれになった!」と挨拶すると、家族みんなが、「キリストに栄光を!キリストをほめたたえよう!」と応答します。

このやり取りは、キリストがお生まれになったあの夜、天の軍勢が夜空をおおうように現れた、ベツレヘムの牧場に私を連れて行ってくれます。神の御使いはこう宣言しました。「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです」(ルカ2:11)。すると天の軍勢が、「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように」と応答したのです(14節)。

この一対のメッセージは、クリスマスというこの素晴らしい時に更なる奥行きを与えます。救い主が、神の赦しと永遠の希望を携えて来てくださいました。そのお方は、私たちが全身全霊でほめたたえるにふさわしいお方です。

「いと高き所に、栄光が、神にあるように。」 BILL CROWDER

神の愛の壮麗さは、イエスの到来の内に啓示されている。


聖書のみことば:ルカ2:6-14

6 ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、7 男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。8 さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。9 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。12 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」13 すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現れて、神を賛美して言った。14 「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」

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ウクライナのクリスマス

聖書のみことば:ルカ2:6-14

いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。—ルカ2:14

ウクライナのクリスマスのお祝いには、数々の素敵な習慣があります。例えば、ベツレヘムの飼葉おけを忘れないために、食事のテーブルの上に干し草の束を置きます。お祝いの中で、救い主がこの世に来てくださった夜の出来事を再現したりもします。クリスマスの祈りがささげられ、その家の家長が「キリストがお生まれになった!」と挨拶すると、家族みんなが、「キリストに栄光を!キリストをほめたたえよう!」と応答します。

このやり取りは、キリストがお生まれになったあの夜、天の軍勢が夜空をおおうように現れた、ベツレヘムの牧場に私を連れて行ってくれます。神の御使いはこう宣言しました。「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです」(ルカ2:11)。すると天の軍勢が、「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように」と応答したのです(14節)。

この一対のメッセージは、クリスマスというこの素晴らしい時に更なる奥行きを与えます。救い主が、神の赦しと永遠の希望を携えて来てくださいました。そのお方は、私たちが全身全霊でほめたたえるにふさわしいお方です。

「いと高き所に、栄光が、神にあるように。」

神の愛の壮麗さは、イエスの到来の内に啓示されている。

喜びと公正

アジアの会議に行ったとき、冤罪で11年間も刑務所に入れられていた牧師と話しました。次に、宗教上の迫害から自国を脱出しようと大金を払った相手に裏切られ、何年もの間、先行き不透明のまま難民キャンプで過ごしている人たちの話も聞き、現実を突きつけられました。彼らは正義の欠如によって起こった出来事の犠牲者です。これは、私たちの世界がいかに壊れているかを示す例です。しかし、正義の空洞化は永遠にはつづきません。

子どもたちへの愛

トーマス・バーナードは医療宣教師となって中国に渡ることを夢見て、1865年、ロンドン医科大学に入学しましたが、間もなく、この町にも大きな必要があると気づきました。多くの子どもが路上で生活し、死んでいくのです。バーナードは、この状況を何とかしようと決心し、貧しい子たちのために孤児院を作り、6万人もの少年少女を貧困と死から救いました。神学者ジョン・ストットは「ストリート・チルドレンを保護した聖人と呼べる」と語りました。

山鳴らし

聖書のみことば:ピリピ 4:6-9

平和の主ご自身が、どんな場合にも、いつも、あなたがたに平和を与えてくださいますように。—Ⅱテサロニケ3:16

ミシガン州のアッパー半島に行ったとき、ある2本の木が目にとまりました。周囲の木の葉はじっとしているのに、この2本の木の葉だけは、ほんの少しの風でハタハタと揺れています。それを指差すと、妻は、あれはアメリカヤマナラシ(山鳴らし)だといいました。他のものは何も動いていないのに、アメリカヤマナラシの葉だけが、わずかな風に反応して揺れています。すべてが静止している中で、この木の葉だけが揺れている光景は、非常に印象的でした。

私は時に、アメリカヤマナラシになったかのように感じます。周りの人たちは一見、心配ごとや問題もなく、平穏な生活を送っているようです。その一方で、私の心ときたら、ほんのささいな問題にも揺れ動いてしまいます。私は人の穏やかな様子に賛嘆しつつ、なぜ私の人生はこうも心乱れることが多いのだろうと考えます。しかし感謝なことに、揺るがない真の静けさは神の臨在の中にある、と聖書は教えてくれます。使徒パウロは「どうか、平和の主ご自身が、どんな場合にも、いつも、あなたがたに平和を与えてくださいますように。どうか、主があなたがたすべてと、ともにおられますように」と記しています(Ⅱテサ3:16)。神は平和をくださるお方であり、さらには平和の主です。

不安定で悩みの多い時期が人生に訪れることがあるでしょう。そのときは覚えていてください。真の平和は、全き平和の神の内で体験できます。

平和とは単に争いがない状態ではなく、神がそこにおられる状態だ。

生かされて

父は若い頃、友だちといっしょにスポーツイベントへ出かけようとして交通事故に遭いました。彼らの車のタイヤが、雨に濡れた路面でスリップして大きな事故になったのです。ひとりが亡くなり、もうひとりは重症を負って身体障がい者になりました。父も死亡したと思われて、身体が死体安置所に運ばれました。祖父母は知らせを聞いて、大きなショックを受けました。そして悲しみながら、身元確認のために身体が安置されている場所にやって来ました。ところがそのとき、父は深い昏睡状態から覚め、息を吹き返したのです。両親の悲しみは一転して喜びに変わりました。