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Bill Crowder

Bill Crowder

ビル ・ クラウダー氏は、コンテンツ部門の責任者です。Discovery Series (探求の書シリーズ) や Discovery House Publishers に数多くの著書があります。クラウダー氏と妻マーリーンには 5 人の子どもと数人の孫があります。

寄稿一覧 Bill Crowder

忍耐が必要

聖書のみことば:Ⅰコリント13

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。—Ⅰコリント13:4

私が乗る予定の飛行機が、機材の不具合で出発を見合わせていました。初めは15分程 度の遅れと聞かされていましたが、どんどん延びて3時間も待たされました。地上スタッフは、苛立った乗客たちへの対応に走り回っています。夜が更けてくると、人々は荒々しい口調で文句を言いました。遂にはパイロットが出てきて騒ぎを静めようとしましたが、その乗客たちは彼にも食ってかかる始末でした。その様子を黙って見ている私に、隣にいた男性が静かに言いました。「今夜は、忍耐という美徳が必要ですね。」

日々の生活はいらいらすることの連続かもしれません。腹立たしいことさえあります。しかし、「堪忍袋の緒が切れる」という体験は、多くの場合、相手に失望したときに抑えられない自己主張の現れです。一方、聖書に描かれている真実の愛は、自己犠牲です(ヨハ15:13)。それは、人に対する忍耐という形でも表されます。「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。…礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、…」(Ⅰコリ13:4-5)とある通りです。真実の愛は、自分の都合を脇に置いてキリストの模範に従います。

そんなことはできないと思いますか。そのとおりです。自分の力ではとてもできません。けれども、神の助けを祈り求めるなら、苛立たしいことにもじっと我慢して、神の愛を映し出すような態度で相手に接することができます。

堪忍袋の緒が切れそうになったら、神がどれだけ忍耐しておられるかを思い出そう。

スカイ・ガーデン

夫婦でロンドンに旅行したとき、スカイ・ガーデンに入れるように友人が手配してくれました。スカイ・ガーデンは、ビジネス街の35階建てビルの最上階にあります。壁と天井がガラス張りの屋内庭園で、木々や草花で覆われています。私たちは、150メートル以上の高さから市内を見下ろし、セント・ポール大聖堂やロンドン塔などの姿に見とれました。英国の首都の眺めは素晴らしく、同時に、物事の見方に関する教訓も与えられました。

時を持つ

アフリカに「西洋人は時計を持ち、アフリカ人は時を持つ」ということわざがあるとオズ・ギネス牧師は著書の中で語っています。私は「時間が無い」と言って人の頼みを断ってしまった時々のことを思い出し、何と自分はスケジュールや締め切りに振り回されているかと思いました。

時計とカレンダー

父は58歳で亡くなりました。父の命日になると、私は父が息子である私に与えてくれた影響について考えます。父と共に生きた人生よりも父無しの人生のほうが長くなったことに気がついた時、人生のはかなさにも思いを巡らすようになりました。

バブーシュカ・レディー

ジョン・F・ケネディー米大統領が1963年に暗殺された際の映像に、コートを着た女性が写真撮影をしている姿が映っています。ロシアのバブーシュカ風スカーフをつけていたのでバブーシュカ・レディーと呼ばれ、この事件の謎のひとつです。未だ人物が特定されず、撮影されたフイルムも所在不明です。彼女は恐怖のあまり沈黙しているのだろうと歴史学者たちは推測しています。

撤回できない

紀元前49年、カエサルは13地区隊を率いてルビコン川を渡りイタリアに進入しました。武装した軍隊を率いてローマに入ることは法律で禁じられていたので、これは不退転の決意です。その衝撃は内戦を経てカエサルをローマの君主に押し上げました。「ルビコン川を越える」とは、後戻りできないという意味の英語の比喩表現に使われます。

いつまで?

ルイス・キャロルの名作「不思議の国のアリス」の中で、アリスが「永遠ってどのくらい長いの?」と尋ねると、白ウサギが「ほんの一瞬のこともある」と答えました。それが、兄のダビデを突然失ったときの私の気持ちでした。葬儀までの時間が、刻一刻と悲しみの深まる永遠の時であるかのように思いました。

子羊のように

ほふり場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。—イザヤ書53:7

イタリアの芸術家カラヴァッジオは1602 年に、「キリストの逮捕」という絵を描きました。初期バロック様式のこの作品には、人をひきつける力があります。この絵画の暗い色合いによって、それを見る人々は、イエスがゲッセマネの園で捕えられた場面に遭遇することができます。この絵を見ると、ふたつの点に引きつけられます。まず、口づけをする裏切り者のユダです。そして、イエスの手です。

イエスの両手は軽く組まれていて、この不正な逮捕に対して、まったく抵抗する意図のないことを示しています。キリストは全宇宙を創造する力をお持ちでしたが、自ら進んでご自分をささげ、捕えられて十字架にかかられたのです。

このようなことが起こるずっと前、イエスは「だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる」と語られています(ヨハ10:18 共同訳)。預言者イザヤは、イエスがいのちをささげられることを預言し「ほふり場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない」(イザ53:7)と記しました。

犠牲の羊になられたキリストの姿は、このお方の力強い愛を如実に表しています。イエスは「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません」(ヨハ15:13)と説明されました。イエスはこれほどまでに、あなたを愛しておられます。 Bill Crowder

釘を打たれたイエスの手は、愛に満ちた神のみこころを表している。

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通話許可ゾーン

いつでもどこでも人とつながれるので携帯電話は便利です。しかし、運転中に電話やメールをして恐ろしい交通事故を引き起こす人が絶えません。そこで運転中の携帯電話の使用を禁止する法律が世界各地にあります。アメリカの高速道路を走っていると、携帯電話の使用が許可されているゾーンを知らせる看板が目につきます。ドライバーはここに車を止め、心ゆくまで携帯電話で通話やメールをすることができるのです。