私たちの隠れ家
初めてのアルバイトはファストフード店でした。ある土曜日の夕方、男性客に仕事は何時に終わるのかと尋ねられ、不安になりました。その人は店長からとがめられないように、フライドポテトを注文したり、飲み物を注文したりして、時間を潰しています。私の家は近所でしたが、暗い駐車場や空き地の前をひとりで歩くのが怖くなりました。とうとう深夜12時の終業時刻になり、私は事務所から家に電話しました。
天の宝
子どもの頃、私たち姉妹は、ヒマラヤ杉の収納箱の上に並んで座るのが好きでした。その中には、毛糸のセーターや、祖母が刺繍したり、かぎ針で編んだりしたものが保管されていました。ヒマラヤ杉には防虫効果があるので、母は大切なものをその中にしまっていたのです。
またね
孫のアリッサと私は別れ際に必ずすることがあります。抱き合って20秒くらい悲しみの叫び声を上げ、数歩後退りすると事もなげに「またね」と言って別れます。ふざけた習慣ですが、又すぐ会えると思っています。
仕え、仕えられなさい
マリリンは長い間病気で沢山の人の世話になっているので、どうすればお返しができるだろうと悩んでいました。ところがある日「人に仕えるだけでなく、人の奉仕を喜んで受け入れる謙虚さが増し加えられるよう、みんなのために祈りましょう」という祈禱課題を読みました。そして、借りを返さなくてはと思わずに、ただ心から感謝して、みんなに仕える喜びを味わってもらえればよいと気づきました。
成長には時間がかかる
シャーロットが幼稚園に入った日に自分を描いた絵は、ボール状の胴体の上にふたつの丸い目のついた長方形の顔でした。彼女は卒園の日にも自分を描くように言われましたが、今度はカラフルな洋服を着て、赤い髪をおさげにした笑顔の女の子が描かれ、目鼻もはっきりしていました。幼稚園は単純な方法で、彼女が時の経過とともに成長したことを示しました。
日々の祈り
歌手で作曲家のロベルト・ハムレットの母親は、毎朝、息子たちがバス停に向かう前に必ず祈っていました。ハムレットは「私のために祈る人」という曲を作り、母親にささげました。この歌を聴いた女性が、息子を送り出す前に彼と祈るようにしたところ、ある朝、嬉しいことが起こりました。息子は出かけて5分ほどすると、数人の友だちを連れて戻って来ました。びっくりして何事かと尋ねると「この子たちはまだ、祈ってもらっていないんだ」と答えたのです。
もし・・・だったなら
夫は駐車場の出口で止まり、自転車の若い女性に道を譲りました。彼女はにっこり手を上げ前進したのですが、路肩に止まっていたSUV車のドアが勢いよく開いたので、衝突して地面にたたきつけられました。自転車は折れ曲がり、彼女も怪我をして泣き出しました。
認められなかった功績
ハリウッドのミュージカル映画は1950年から1960年代に流行し、とりわけオードリー・ヘップバーン、ナタリー・ウッド、デボラ・カーという3女優が観客を沸かせました。彼女たちの魅力は、その歌によるところが大きかったのですが、それはマーニ・ニクソンによる吹き替えでした。これらの名作で彼女の果たした功績は大きいものでした。しかし、それは長い間、全く認められていませんでした。
完全な父
父が「お前が子どもの頃、私は家にいないことが多かったね」と言ったことがあります。しかし、そんな風に感じてはいませんでした。父は仕事をしながら聖歌隊の指導をしていたので、夜、教会に行くことがありました。また、男性カルテットの一員として1~2週間の公演にも出かけました。しかし、人生の大切なときには、いつもそばにいてくれましたし、ちょっとした時にも、父の姿はありました。