美しいとは
エッフェル塔は、130年以上、パリに堂々とそびえ立ち、卓越した建築技術と美の象徴となっています。パリは、この塔の存在を町のシンボルだと大いに誇ります。しかし、当初は、あまり評価されませんでした。例えば、有名作家モーパッサンは「工場の煙突のように細く滑稽な形だ」と語りました。彼にはその美しさが見えなかったのです。
大きな心
妻は週に1度、小学校の聖書クラブでボランティアをしています。ある時、児童たちに寄付の呼びかけがありました。戦時下のウクライナの子どもたちのためです。妻がその話を11歳の孫娘にすると、 1週間後、彼女から封書が届きました。中には「貯金箱の中身全部です。ウクライナの子どもたちにあげてください。後でもっと送ります」というメモと517円が入っていました。
神の御業を語る
宣教師となって太平洋の島で仕えている大学時代の友人ビル・トバイアスが、一獲千金を求めて故郷を離れた後、回心してイエスの救いを信じた若者の話をしてくれました。彼は魔術に翻弄(ほんろう)される故郷の人々に福音を伝えてくれる宣教師を探してビルの所に来たそうです。しかし、ビルは「主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか……を知らせなさい」(マコ5:19参照)と告げ、若者は言われたとおりにしました。
永遠なる神の臨在
モニークには数名のキリスト者の友人がいました。彼女たちが自分の悩みに向き合う姿を尊敬する一方で、少しねたましくもありました。あんなふうにはできないと思ったのです。彼女は悩んでいました。彼女にとって、キリストを信じるとは、ルールに従うことでした。しかし、大学の友人の助けがあり、神は彼女を束縛しようとしているのではなく、むしろ浮き沈みがある中でも最善を願っておられると気付きました。こうしてモニークは、イエスを自分の救い主として信頼し、神の素晴らしい真実なる愛を受け入れたのです。
神の恵みの賜物
大学で文章を教えていますが、非常に良くできた学生の提出物を見て、でき過ぎていると思いました。調べてみたら案の定、ネット情報の丸写しでした。
キリスト者の交わり
日曜日の朝の礼拝後に会堂の照明を消して戸締りをする担当者は誰でしょう。誰だったとしても、その人の昼食は遅めになるでしょう。というのも、私たちの教会では、多くの人が礼拝後に会堂内で立ち話をするからです。それぞれに人生の決断や生活上の悩みや困難があり、それらを話し合っています。礼拝の終了後20分ほど経っても、多くの人が楽しそうに一緒にいる光景を見るのは嬉しいものです。
神の御前にみな、平等
夫婦で休暇中に早朝サイクリングを楽しみました。大豪邸が並ぶ地区を通ると、そこにはいろいろな人がいました。犬の散歩をする人、サイクリングをする人、新しい邸宅を建てる労働者、地域の美観のために働く人などです。あらゆる社会層の人がいましたが、そこで大切な事実を再確認しました。私たちはみな、同じだということです。金持ちでも貧乏人でも、資産家でも労働者でも、有名でも無名でも。聖書が「富む者と貧しい者が出会う。どちらもみな、造られたのは主である」(箴22:2)と語る通り、異なる部分があっても、万人は神のかたちに造られたのです(創1:27)。
名刺と祈り
最近、事故で夫を失った女性は、生命保険金の申請のために事故に関する資料が必要でした。しかし、協力を約束してくれた警察官の名刺を紛失してしまい不安でした。彼女は神の助けを求めて祈りました。ほどなくして、彼女は教会にいました。窓際を歩いていると、窓台の上にその名刺があったのです。どうやってそこにたどり着いたのでしょう。しかし、なぜかは分かりました。彼女が真剣に祈ったからです。当然です。聖書は、神が私たちの願いに耳を傾けられると述べているのですから。使徒ペテロも「主の目は正しい人たちの上にあり、主の耳は彼らの叫びに傾けられる」(Ⅰペテ3:12)と語ります。
いのちを見つける
ブレットがキリスト教系大学で聖書を専攻するのは自然な成り行きでした。クリスチャンに囲まれて育ってきたからです。牧師になりたいとさえ思っていました。