モニークには数名のキリスト者の友人がいました。彼女たちが自分の悩みに向き合う姿を尊敬する一方で、少しねたましくもありました。あんなふうにはできないと思ったのです。彼女は悩んでいました。彼女にとって、キリストを信じるとは、ルールに従うことでした。しかし、大学の友人の助けがあり、神は彼女を束縛しようとしているのではなく、むしろ浮き沈みがある中でも最善を願っておられると気付きました。こうしてモニークは、イエスを自分の救い主として信頼し、神の素晴らしい真実なる愛を受け入れたのです。

ソロモン王も同じような助言をしたでしょう。彼はこの世には悲しみがあると認めました。「すべてのことには定まった時期」(伝3:1)があり、「嘆くのに時があり、踊るのに時」(4節)があるのです。しかし、それだけではありません。神は「また、人の心に永遠を与えられ」(11節)ました。神と共に生きる永遠です。

モニークはイエスを信じていのちを「豊かに」(ヨハ10:10)得ました。そればかりではありません。信仰によって心に永遠が与えられました(伝3:11)。それは苦難を思い出さない未来の到来という約束です(イザ65:17)。その時、神の栄光に満ちた臨在は永遠の現実になるのです。