フェンスに触るな!
子どもの頃、両親といっしょに曾祖母の家へ遊びに行きました。曾祖母は農場の脇に住んでいて、牛が家の敷地に入らないように、家の周りには電流の通ったフェンスが張られていました。外で遊んでもいいかと尋ねると、よいけれど、フェンスに触れると感電するので気を付けるように言われました。ところが、私はその警告を無視してフェンスに指を触れてしまいました。その瞬間、ビリビリっと電気が走りました。私は、両親の警告は私のためだったと悟ったのです。
内面を見る
物理学者のアリー・ヴァン・リートは退職後、風変わりな芸術作品を創作しています。彼は植物と動物の死骸をさまざまな構図で配置し、レントゲン写真を撮ります。そして現像したレントゲン写真をスキャンしてパソコンに移し、画像に色を付けるのです。彼の作品は、花や魚、鳥や爬虫類、そして猿などの内部が、いかに複雑にできているかを表します。
心ない言葉
車の後部座席にいた娘が、急に大声で泣きだしました。どうしたのと聞くと、お兄ちゃんが腕を「ぎゅっ」としたと言います。息子は、妹がつねったので腕をつかんだと言い、娘は、お兄ちゃんが意地悪なことを言ったからつねったのだと言い返しました。
谷底から見る
罪を自覚する男と、聖なる神との距離について述べた、ピューリタン(清教徒)の祈りがあります。男は神に言います。 「私は谷底に連れて来られ…罪に取り囲まれつつ、あなたの栄光を見ます。」彼は自分の罪に気づきつつも、希望を捨てずに語ります。「星のきらめきは深い井戸の底からも見えるでしょう。深ければ深いほど、明るく輝いて見えるでしょう。」そして、「私の闇の中で、あなたの光を見つけさせてください…私の谷で、あなたの栄光を見つけさせてください」と彼の願いを記して、この詩は終わります。
ハエが教えてくれたこと
今の事務所を借りたとき、数匹のハエが死んでいました。生きとし生けるものの行く道です。床や窓枠に死骸が残っていました。私はそれを片付けましたが、ひとつだけ残して眺めました。
キリストと共に歩みつづける
子どもの頃、夏の間の最大の楽しみは、一週間のクリスチャン・ユース・キャンプでした。最終日には、友だちと肩を寄せ合って巨大なキャンプファイヤーの周りに座り、神や聖書について学んだことを分かち合ったり、賛美をしたりしました。その中でも、イエスに従っていく決意を言葉にした歌のことをはっきり覚えています。繰り返しの部分に、「もう後戻りしない」という歌詞がありました。
落ち穂拾い
私たち親子はブラウニー(チョコレート味の焼き菓子)が大好きで、料理の傑作のひとつだと思っています。ある日、ボールで材料を混ぜて、それを焼型に注ぎましたが、娘が少しだけ残してくれないかと言いました。彼女はちょっとだけなめたかったのです。私は笑って賛成し、「それは『落ち穂拾い』というのよ。ブラウニーから始まったわけではないけれどね…」と言いました。
平安を得るには
フィンランドの首都ヘルシンキのカンピ静寂の礼拝堂は、曲線を描いた木製の壁で街の騒音を遮断しています。訪れた人たちに平安を提供する空間になるようにと、設計者が考えました。ここは市街地にありながら、街の喧騒から逃れられる、ありがたい場所です。
灰色の力
オランダのアーティスト、ヨニ・ルフェーブルは、自国の高齢者たちの活力を示そうと、「灰色の力」と題したプロジェクトを主催し、地元の小学生に祖父母の絵を描いてもらいました。彼女は、高齢者に対する「公平で純粋な」見解を表現したいと願い、子どもたちならば、それができると考えました。子どもの絵には、テニスをしたり、絵を描いたり、ガーデニングをしたりなどして 生き生きと活動する年配の人たちが描かれていました。