私たちの父よ
ほぼ毎朝、私は主の祈りを唱えます。その祈りを心に刻むまで、私の1日は始まりません。最近、「天にまします我らの父よ」と祈り始めると、電話が鳴りました。まだ午前5時43分でした。誰からでしょう。ディスプレイには「お父さん」と表示されましたが、すぐに切れました。父が間違ってかけてきたのでしょう。実際、その通りでした。これは、ただの偶然でしょうか。かもしれませんが、私たちは神のあわれみが溢れる世界に住んでいるのです。私にはその日、御父のご臨在を確信させる何かが必要だったのです。
暴露と保証
車が青い煙を噴出して男の赤ちゃん、農薬散布の飛行機がピンク色の水を大量に放出して女の赤ちゃんなど、2019年、赤ん坊の性別を劇的に公表する人がいました。一方、この子たちが成長する世界に関する別の事実も公表されました。聖書アプリYouVersionが、1年で最もシェア、ハイライト、ブックマークされた聖句は、「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい」(ピリ4:6)だと年末に発表したのです。
天の父の声
友人のお父さんが先日亡くなりました。診断の後、すぐに病状が悪化し、ほんの数日で天に召されました。父親と深い絆があった友人は、聞きたいことや話したいことがまだたくさんあったと言います。彼の職業はカウンセラーなので、家族を亡くした人の心をよく知り、そのような状況をくぐり抜けていく人たちを助けています。それでも、彼はこう言いました。「時々、父の声を聞き、父の愛を感じたいと無性に思うんだ。僕にとって、それは大きな意味があったから」。
叶えられない祈り
子どもたちが幼い頃、コロラドからアーカンソーまで帰省する16時間の道中の親子のやり取りです。「もう着く?」「まだだよ」「もう着く?」「まだだよ」。もし、尋ねるごとに100円もらうと決めていたら、100円玉の山ができていたでしょう。子どもたちは、しつこく尋ねましたが、実は、運転手の私も同じように尋ねていました。「もう着くかしら?」答えは「まだ、でも、もうすぐ」でした。
生きている間に与える
人生後半の数十年、蓄財を寄付するために費やした大富豪がいます。北アイルランドの和平、ベトナムの医療システムの近代化など、様々な目的のために寄付をし、亡くなる直前には、ニューヨークのルーズベルト島を応用科学のハブセンターにするために、380億円相当を寄付しました。彼は「生きている間に与えるのが私の信念です。躊躇する理由など思いつかない……死んでからより、生きている間に与える方がずっと楽しいですから」と語りました。何と素晴らしい姿勢でしょう。
教会コミュニティー
私は牧師の息子だったので日曜日に教会に行くのは当たり前でした。そして、私は教会が大好きでした。しかし時は移り、礼拝に常時出席する人の数は減りました。当然、人は理由を詮索しますが、それは多種多様です。これに対し、作家のキャスリーン・ノリスは、「なぜ教会に行くのか」という質問に、「私たちは他の人のために教会に行くのです。そこに、あなたを必要としている人がいるかもしれませんから」と応える牧師の言葉を紹介しています。
真の礼拝者たち
地下に下りると、小さな洞窟のような空間があり、つるされたランプが、少し高くなった大理石の床を照らしていました。そこには14の先端がある銀の星が描かれています。ここはキリスト降誕の地と言われるベツレヘムの聖誕教会です。作家アニー・ディラードは、やっと来た特別な場所なのにあまり感激していないのは、たぶん、神がもっと大きなお方だからだろう、と思いました。
あなたの故に神は歌う
長男が誕生して17か月が過ぎ、娘もできました。私は大喜びでしたが、少し不安もありました。男の子のことは多少知っていますが、女の子のことは未知の領域ですから。娘をサラと名付け、妻を休ませるために、彼女を寝かしつける役目を買って出ました。私の子守歌は、なぜか「ユー・アー・マイ・サンシャイン」になりました。娘を腕に抱き、時にはベッドを揺らしながら、彼女のために歌いました。すべてが愛しい時間でした。娘はすでに大人ですが、私は今でも彼女を「サンシャイン」と呼びます。
すべての良きこと
金曜日の夕方に家族で見るニュース番組は、明るい話題で締めくくられます。例えば、新型コロナウィルスに罹患したレポーターが完全に回復し、他の患者の治療のために、血しょう成分献血を行った話題です。当時は、抗体の効果について結論が出る前で、多くの人が無力感に襲われていました。しかし、彼女は「可能性が無い訳ではないのだから、献血の痛みは大した犠牲じゃない」と思ったそうです。