善意を増やせ
ビジネスで成功する秘訣(ひけつ)を問われて「親切さ」や「気前の良さ」と言う人は少ないでしょう。しかし、起業家のジェームズ・リーは違います。彼は破綻寸前の会社を優良企業に再生しました。その経験によると、彼が「善意」と呼ぶもの、すなわち、親切、受けるより与える、という気風の醸成が鍵だといいます。これを会社の中心に据えるなら、社員は希望を持ち、団結して問題解決に取り組んだり、新しい価値を生む事業を起こそうと動機づけられるのだそうです。彼は「善意は……正真正銘の資産だ。化学反応を起こして増えていける」と説明します。
とげを優しく抜く業
シエナのカタリナは14世紀に「とげがあなたの足に入りました。それであなたは夜、時々痛くて泣くのです。それを引き抜くことのできる人は世界に存在します。その業は『神』から学ぶのです」と記し、その「業」を磨くために人生をささげました。苦悩する人々に共感と同情を示し尽くした驚くべき業は、今日まで語り継がれています。
神の御翼の下に
アパートの近くの池にはカナダガンの親子がいます。ひな鳥はふわふわでかわいいので、散歩やジョギングの時に見たくなります。しかし、視線を合わせず、広く自由な空間をあげなければならないと知りました。さもなくば、私を脅威と疑った親鳥が、ひなを守ろうと威嚇しながら追いかけてくるかもしれないからです。
スローファッションの恵み
ファストファッションは、低価格で大量生産、大量消費される服のブランドのことです。それらの商品は、店頭に並ぶや否や流行遅れになり、毎年大量の商品を廃棄する企業もあるといいます。一方、それに対抗する#スローファッションという動きがあります。
わたしは無名! あなたは?
エミリー・ディキンソンは、「わたしは無名! あなたは?」で始まる詩を書いて、認められようと頑張ることを茶化しています。「有名になるって、いったいなにがおもしろいの?まるで沼地の真ん中の蛙みたい。自分の名前を大声で連呼して、六月のあいだじゅう見わたすかぎりの泥に拝まれて!!」
惜しまぬ心
作家パーカー・J・パルマーは、ある大学の卒業式で「利己的に自己中心に、また保身に勤しんできて良かった」と言って死ぬ人はいない、と述べ、広い心で惜しみなく社会に尽くすように卒業生を励ましました。しかし、続けて「そのように生きるなら、自分はいかに無知で、いかにたやすく失敗するかを学ぶことになる」と言いました。そして、社会に仕えたいなら、初心者の心で、リスクを承知で知らないことに真っ直ぐ向かっていき、何度失敗しても起き上がり、学び続けていかなければならない、と語りました
全ての悲しみ
エミリー・ディキンソンは19世紀の詩人です。「悲しみに出会うといつも比べる。目を凝らして探る。その重さは私のものと同じか、それとも軽いかしらと」と、人が心の傷をどのように背負い続けているかを考えます。すると「刺し通す慰め」をカルバリで見て、自分の傷が救い主の傷に映るのを見ます。彼女はためらいながらも「そう見なすと心が踊る。その傷は、私のものに似ている」と、唯一の慰めに思い至ります。
安全地帯
教師を引退したデビー・スティーブンス・ブラウダーは、人々に植林を推奨しています。その理由は高温対策です。アメリカの猛暑は、気候関連の死因の第1位です。その対策として、まずは植林、と彼女は語ります。樹木で日陰を作ることは、人々を守る有効な手段の一つです。それは、地域の美観だけではなく、「生きるか死ぬか」の問題なのです。
夢ではない
離人感または現実感喪失と呼ばれる症状に苦しむ人は、覚めることのない夢の中で暮らしているようだといいます。何もかもが現実でないように感じるそうです。そのような状態が慢性的に続くと病気ですが、強度のストレスにさらされると誰にでも起こりうる精神状態だといいます。しかし、この感情は順風満帆の人にも起こりえます。良いことが本当に起こっているのに、どこかで信じていないのです。聖書にも、神の力と解放が夢のようで、現実なのに実感が伴わない、という出来事が記されています。天使はペテロを牢(ろう)と死刑の危機から救い出しました(使12:2、4)。しかし、当のペテロは、まるで幻覚を見ているようで、自分の身に起こっていることなのかどうかよく分からなかったといいます(9-10節)。外に出て天使が立ち去った時、ようやく「我に返って」、本当に起こったのだと気付きました(11節)。