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Monica La Rose

Monica La Rose

モニカ・ラローズ氏(旧姓ブランズ氏)は、イリノイ州パロス・ハイツにあるトリニティークリスチャン大学で英語学と神学を専攻した後、ミシガン州グランドラピッツにあるカルヴィン神学校で神学修士号を取得しました。2019年10月に、ミュージシャンでありエンジニアでもあるベン・ラローズ氏と結婚しました。ふたりは、家族や友人、そして二匹の猫と過ごす時間を大切にしています。

寄稿一覧 Monica La Rose

スローファッションの恵み

ファストファッションは、低価格で大量生産、大量消費される服のブランドのことです。それらの商品は、店頭に並ぶや否や流行遅れになり、毎年大量の商品を廃棄する企業もあるといいます。一方、それに対抗する#スローファッションという動きがあります。

わたしは無名! あなたは?

エミリー・ディキンソンは、「わたしは無名! あなたは?」で始まる詩を書いて、認められようと頑張ることを茶化しています。「有名になるって、いったいなにがおもしろいの?まるで沼地の真ん中の蛙みたい。自分の名前を大声で連呼して、六月のあいだじゅう見わたすかぎりの泥に拝まれて!!」

惜しまぬ心

作家パーカー・J・パルマーは、ある大学の卒業式で「利己的に自己中心に、また保身に勤しんできて良かった」と言って死ぬ人はいない、と述べ、広い心で惜しみなく社会に尽くすように卒業生を励ましました。しかし、続けて「そのように生きるなら、自分はいかに無知で、いかにたやすく失敗するかを学ぶことになる」と言いました。そして、社会に仕えたいなら、初心者の心で、リスクを承知で知らないことに真っ直ぐ向かっていき、何度失敗しても起き上がり、学び続けていかなければならない、と語りました

全ての悲しみ

エミリー・ディキンソンは19世紀の詩人です。「悲しみに出会うといつも比べる。目を凝らして探る。その重さは私のものと同じか、それとも軽いかしらと」と、人が心の傷をどのように背負い続けているかを考えます。すると「刺し通す慰め」をカルバリで見て、自分の傷が救い主の傷に映るのを見ます。彼女はためらいながらも「そう見なすと心が踊る。その傷は、私のものに似ている」と、唯一の慰めに思い至ります。

安全地帯

教師を引退したデビー・スティーブンス・ブラウダーは、人々に植林を推奨しています。その理由は高温対策です。アメリカの猛暑は、気候関連の死因の第1位です。その対策として、まずは植林、と彼女は語ります。樹木で日陰を作ることは、人々を守る有効な手段の一つです。それは、地域の美観だけではなく、「生きるか死ぬか」の問題なのです。

夢ではない

離人感または現実感喪失と呼ばれる症状に苦しむ人は、覚めることのない夢の中で暮らしているようだといいます。何もかもが現実でないように感じるそうです。そのような状態が慢性的に続くと病気ですが、強度のストレスにさらされると誰にでも起こりうる精神状態だといいます。しかし、この感情は順風満帆の人にも起こりえます。良いことが本当に起こっているのに、どこかで信じていないのです。聖書にも、神の力と解放が夢のようで、現実なのに実感が伴わない、という出来事が記されています。天使はペテロを牢(ろう)と死刑の危機から救い出しました(使12:2、4)。しかし、当のペテロは、まるで幻覚を見ているようで、自分の身に起こっていることなのかどうかよく分からなかったといいます(9-10節)。外に出て天使が立ち去った時、ようやく「我に返って」、本当に起こったのだと気付きました(11節)。

決して死なないもの

ウクライナの友人アイラの近況に涙を禁じ得ませんでした。それは2022年、包囲されたキーウの自宅を離れた数日後のSNSの投稿でした。競技を終えて国旗を掲げた過去の自分の写真を載せ、次のように記していました。「私たちは皆、人生という名のマラソンを一生懸命走っています。今は、これまで以上に頑張りましょう。決して死なないものがあるのですから」。彼女は連日、祖国の人々のためにどう祈れるか、また、どう支援できるかに関わる投稿をしました。彼女はこういう形で走り続けたのです。

新たなスタート

詩篇120篇は、最初の「都上りの歌」(詩120-134篇)です。巡礼者はエルサレムに向かう道で、それを賛美しました。ユージン・ピーターソンはこの詩篇を省察して、「当然と考えていたことが実はうそだった、という苦々しい気付きから、キリスト者の意識は始まる」と述べました。彼の著書『A Long Obedience in the Same Direction』(同じ方向に向けて長い間従順に従う)が語っているように、「都上りの歌」は、私たちの霊が神に向かって進む旅路を示しています。

確固たる前進

ある詩人は『休息』という詩の中で、「仕事」と「余暇」を二分する傾向に反論します。真の労苦なしに真の休息はあるのかと問い、真の休息を経験したいなら人生の義務から逃げるなと語ります。むしろ全力で取り組み、その経験を無駄にするな。そして、真の休息と喜びは、愛し仕えることを通して実現すると結んでいます。