宝探し
埋められた財宝を探すなど、子ども向けのおとぎ話のようですが、一風変わった億万長者のフォレスト・フェン氏は、2億円相当の宝石や金が詰まった箱をロッキー山脈に置いてきたと公言しています。実際、多くの人がその宝を探しています。冒険の最中に命を落とした人が4人もいるのです。
本当の自分を見つける
色あせたぬいぐるみが「きみは いったい だれなのさ」と自分に問います。ミック・インクペンの児童書「ぼくのなまえはイラナイヨ」の主人公は、屋根裏に置き去りにされたぬいぐるみです。家の人が引っ越す時に「それはいらないよ」と言ったのを聞き、それが自分の名前だと思いました。
不変の愛
車のドアをバタンと閉めて校門に入っていく小学6年生の私に、父は「愛しているよ」と声をかけました。私たちは何か月も毎朝、同じせりふを繰り返していました。父は「いってらっしゃい。愛しているよ」と言い、私は「じゃあね」と素っ気ない返事をしました。別に怒っていたわけでも、父をないがしろにしていたわけでもありません。ただ自分のことで精一杯で、父の言葉を気にする余裕が無かったのです。しかし、父の愛情は変わりませんでした。
確かな土台
去年の夏、私たち夫婦は「落水荘」(フォーリン・ウォーター)を見学しました。それはたぐいまれな家です。ペンシルバニア州の田舎にあり、1935年に建築家フランク・ロイド・ライトが設計しました。地面から自然に生えてきたかのように見せたかったそうですが、確かにそう見えました。家は滝に囲まれるように立ち、そばにある岩棚に同化しています。ガイドによると、この家は中心軸が大きな岩の上に立っているので安全だそうです。
愚かな羊と良い羊飼い
友人のチャドは、ワイオミング州で羊飼いを1年間しました。 「ヒツジは愚かだよ。自分の目の前にあるものしか食べないんだ。前の草を全部食べると、他の草地を探そうとはせず、草の無くなった土を食べちゃうんだ」と言います。
銃殺隊を前に歌う
ふたりの男が麻薬密売の罪で死刑判決を受け、刑務所で10年間を過ごしました。そして服役中に神の愛とイエスの贖いを知り、生き方が変わりました。死刑は銃殺でしたが、彼らは銃を構えた一群を前に「主の祈り」を唱和し「アメイジング・グレイス」(聖歌229番)を歌いました。彼らは信仰によって聖霊の力を受け、信じられないほどの勇気をもって死と向き合いました。
イエスのようなかおりがした
ボブは暑く埃っぽい道を長距離バスで移動し、遠く離れた町に着くと、友人の友人に迎えられ、彼の家で食事をしました。家に着くや否や、緊張がほぐれて長旅の疲れが癒やされ、自分が大切にされていると感じたそうです。
嘆きの中にも希望がある
バハマの首都ナッソーにあるクリフトン歴史国立公園に行くと、この国の悲劇の時代を追想せずにはいられません。18世紀、奴隷たちは船でバハマに連れて来られると、水際から延びる急な崖の階段を上らされ、多くは家族と引き離され、人間扱いされない非道な生活に入れられました。崖の上は当時の奴隷たちを記憶する公園になっています。そこには、ヒマラヤ杉に刻まれた女性たちの像が立ち、故郷と失った家族を思って海を眺めています。それぞれの奴隷の身体には、むちで打たれた傷がくっきりと残っています。
よそ者がよそ者を受け入れる
私たち夫婦は夫の姉の近くに住む必要があってシアトルの郊外に引っ越しました。見知らぬ土地で家も仕事もありません。地元の教会の人が大きな借家を見つけてくれたので、そこに住み、家主に許可を得て、いくつかの部屋を留学生に間貸ししました。それから3年間、よそ者の私たちが外国人を受け入れ、一つ屋根の下で寝食を共にしました。また、家の皆で聖書勉強会を開き、大勢の留学生たちと交わりました。