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Philip Yancey

Philip Yancey

フィリップ・ヤンシー氏は、「この驚くべき恵み」や「痛むとき、神はどこにいるのか」をはじめ、多くの著書を世に送り出しています。妻ジャネットとともに、コロラド州エバーグリーンに住んでいます。

寄稿一覧 Philip Yancey

最初の一歩

友だちと立ち話をしました。「彼、歩けたのよ!」と、一歳の甥が初めて歩いた様子を興奮げに詳しく話してくれました。もし、知らない人が聞いていたなら奇妙でしょう。大抵の人は歩けますから。

チェスの達人

高校時代、チェスの腕前には自信がありました。クラブに所属し、昼休みには仲間と対局したり、指南書を熱心に読んだりしたものです。テクニックを磨き、ほとんどの試合に勝ちました。ところがチェスを離れて20年後に、チェスの達人に出会いました。彼は高校時代からずっと研鑽を重ねていました。私は、極めた人と対戦するとはこういうことかと教えられました。自分が自由にコマを動かせる立場にあっても、どんな作戦を立てても無益でした。私の作戦はことごとく、極上の技によって、彼の作戦を成功させるために利用されました。

私たちのような人

ウィリアム・ケアリーは19世紀末、インドに行ってキリストの福音を伝えるように召されたと感じました。しかし周りの牧師たちは、「若輩者。神がインドを救いたいのならば、神は、君や私の助けがなくてもそうされる!」と言ってあざ笑いました。この牧師たちは、協力ということが分かっていませんでした。神は、私たちのような人の協力の無いところでは、多くのことをなさいません。

揺るぎない信仰

私たち夫婦には、それぞれ100歳を超える祖母がいます。祖母たちや、その友人たちと話をすると、ある共通点に気づきます。それは、懐かしそうに苦労話をすることです。大恐慌や第二次世界大戦、暴風雪、屋外トイレ、そして古いパンと缶スープばかり食べていた貧乏な大学生活、といった苦しい体験を、懐かしむように語ります。

衝撃的な近しさ

ケネディー大統領が閣僚たちと大統領執務室で世界情勢について議論しているそばで、2歳になる大統領の息子ジョン・ジョンが、大きな机の下をハイハイしている写真があります。重々しい儀礼などどこ吹く風…。彼はただ、自分の父親に会いに来ているのですから。この写真は「親しさ」を衝撃的に表しています。

ハッピーエンド

聖書の物語の「筋」は、最終的に振り出しへと落ち着きます。神と人間の壊れた関係はついに修復されて、創世記3章の呪いが解かれます。ヨハネの黙示録は、エデンの園のイメージを借りて、いのちの水の川について述べます(黙22:1-2)。しかし、今回は「園」ではなく「都」です。偉大な都は、神を賛美する人たちで満ちあふれています。もはや、死や嘆きが、影を落とすことはありません。新しい天と地の間で私たちが目覚めるとき、私たちはついにハッピーエンドを迎えるのです。

逆さまに見る

インドを訪れた際、私はハンセン病患者に交じって礼拝しました。ハンセン病治療の前進に尽力したのは、医療宣教師たちでした。彼らは自らすすんで患者たちと共に暮らし、リスクを承知でこの病気と戦いました。その結果、ほとんどの主要なハンセン病センターには、力強い教会が育ちました。ミャンマーに行ったときは、エイズ孤児の収容施設を訪問しました。そこではクリスチャンのボランティアたちが、病気で逝ってしまった親になりかわって、孤児たちに愛情を注いでいました。今までで最も心を奮い立たされた教会の礼拝は、チリとペルーの連邦刑務所の劣悪な部屋でささげられた礼拝でした。神の御国は、しいたげられた恵まれない人たち、すなわち世間から拒絶された人たちの中で根を張っていました。

驚くべき恵み

ジョン・ニュートンは英国海軍にいやいや入隊したものの、命令に従わなかったので解雇され、奴隷取引に手を染めました。神をのろい、悪態をつくことで悪名を馳せ、大西洋を横断する奴隷貿易が最も残虐だった時代に奴隷運搬船で働き、船長にまで登りつめました。

前もって信じる

第二次世界大戦中、ドイツの捕虜収容所で看守の目を盗んでラジオを作っていたアメリカ人捕虜がいました。ある日、ドイツ軍が降伏し、戦争が終わったというニュースが流れました。しかし、ドイツ軍の情報伝達はうまくいっていなかったので、看守たちはこのニュースを知りませんでした。このことが捕虜たちの間に広まると、彼らは歓声をあげて喜びました。彼らは歌ったり、看守たちに手を振ったり、食事のときに冗談を言ったりしました。そして4日後、捕虜たちが目覚めるとドイツ人たちは全員逃げ出していました。待つのは終わったのです。