寄稿者

すべて見る

寄稿一覧 Tom Felten(ゲスト寄稿者)

未知の環境

頭の中をいろいろな問いが駆け巡りました。「神よ、なぜですか? これは本当にあなたのご計画ですか?」幼い子どもがいるのに、私はがんで深刻な状態だと診断されたのです。最近、家族で宣教に携わり、多くの子どもたちが救われ、御業の実を見て大喜びしたのです。それなのに、どうして……。

壁を壊して一つになる

ベルリンの壁は家族や友人を分断してきました。東ドイツ政府が市民の逃亡を防ぐために1961年に建設したのですが、実際、250万人以上が1949年から壁の完成までに西側に移ったと推定されています。米国レーガン大統領は、1987年、壁の前で「この壁を壊しなさい」と演説しました。彼の言葉は歴史の大きなうねりを反映しており、それが頂点に達した1989年、壁は崩壊し、やがてドイツは再統一しました。

愛のある厳しい指摘

その人は何でも卒なくこなし評価されていました。しかし、仕事ができたばかりに、怒りを制御しない点を真正面から指摘されず、長年にわたり、多くの人が傷つきました。その結果、時期尚早で退任したのです。この主にある兄弟は、もっとできたはずでした。ずっと前にきちんと意見してあげるべきだったと悔やんでいます。

知ることと愛すること

スポーツ記者で34歳のジョナサン・ジャークスは「僕の息子は君を知っている?」という手記を書き、末期がんの闘病と遺される妻と幼い息子に対する思いを綴りました。キリスト者のジャークスも父を早く亡くしました。彼は寡婦や孤児の世話を促すみことばを示し(出22:22、イザ1:17、ヤコ1:27)、「天国で会う時に僕が尋ねることはただ一つ。僕の息子と妻に良くしてくれた? ……息子は君のことを知っている?」だと友人たちに宛てて書きました。

自分の足を撃つ

あるエンジニアは弓で世界一の飛距離(620メートル)を狙う野心家でした。彼は2021年、自ら設計した足で引く弓を使って1600メートルを狙いました。ところが、30センチメートルも飛ばず、自分の足に当たって大けがをしました。

余白を作ろう

医師のリチャード・スウェンソンは、著書『余白』の中で次のように書いています。「私たちは息をするゆとりを持たねばならない。物思いにふけり、癒やされる自由が必要だ。人間関係は慌ただしさのおかげで瀕死の状態……子どもたちは大人が良かれと思って詰め込んだものに押しつぶされ、あえいでいる。神は消耗戦に賛成なのか。静かな水辺には導いてくださらないのか。ゆったりとしたあの時を奪ったのは誰だ。取り戻す方法はないのか」。スウェンソンは、私たちには静かで豊かな「余白」が必要だといいます。神と会い、神のもとで安らげる場所です。あなたも同感ですか。

道義的責任

友人をちらっと見て、私と同じく、恐れていると分かりました。2人が10代の頃のことです。キャンプで悪さをして、リーダーに呼び出されました。私たちの父親をよく知る人で、「お父さんを悲しませることをしたのだよ」と、静かにきっぱり言いました。私たちは道義的責任を突きつけられ、穴があったら入りたいと思いました。

従う自由

フィギュアスケート選手として類を見ない成功を納めた少女の顔に、不安と恥が表れていました。2022年の冬季オリンピックを控え、一連の好成績により金メダル獲得を確実視されていたのに、体内から禁止薬物が検出されたのです。絶大な期待とごうごうたる非難の重圧で、フリーの演技では何度も転倒し、勝利もメダルも逃しました。氷上での自由と創造性は、規則違反への非難に破壊されてしまいました。

恵みと変化

凶悪事件の犯人が終身刑になりました。独房の中の年月、彼のたましいに癒やしと改心が始まり、ついに悔い改めて、イエスを救い主と信じるに至りました。最近は、他の受刑者との交流が一部、許可されています。神の恵みにより、彼の証しによって、キリスト信仰に導かれる受刑者も出現しました。彼らもまた救われたのです。